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2006.04.03
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昨年の4月2日、前教皇のヨハネ・パウロ2世(Giovanni Paolo II )が亡くなられた。

衛星で RAI International 局を見られるから、死期の迫ったあの頃、ずっとテレビをつけて 気持ちはどこまでもバチカンに、大勢の信者が詰めかけているサンピエトロ広場にあった。
イタリアの新聞には、重態の段階でもう逝去扱いで刷ってあったのもあり、ああ いよいよ避けられない時が来た、と頭ではわかっているけれど、心の中は動揺していた。

2002年に やっと入れた衛星放送で垣間見た教皇様は、本当にカトリック教会の重責
を肩に、今にも崩れそうなお身体で それでも休むことなく -むしろ苦しみと共に- 働いておられた。

教皇職は通例、逝去に至るまでが在職だから、もし 退く、と言う言葉が使われるならここでは亡くなることを意味している。

歴代の教皇で唯一 生存中に引退されたのは Celestino V チェレスティーノ 5世 (Celestine V セレスティン5世);在位1294年のみ、なのだけれど、この教皇様に関しては後身の教皇座を狙う枢機卿カエターニに迫害され、追われるような形で退位を余儀なくされた という経緯がある。

この教皇様は 元々隠棲修道者であったのに 1294年の夏にコンクラーベで選ばれ、その年の9月即位、12月には退いて 12月23日に カエターニが次の教皇に選出され Bonifazio VIII;ボニファティウス8世として治まった。
ボニファティウス8世の所業は2代後の教皇クレメンス5世に糾弾され、同教皇が 失意のうちに1296年に81才で亡くなられたセレスティン5世を、1313年5月5日にアヴィニョンで列聖した。
一方でボニファティウス8世はというと1303年に死亡、 ダンテに「神曲」の中で地獄に送られて悪名を今日にいたるまで残す結果になってしまった。

...と、余談にそれてしまったけれど。

実際には、ヨハネパオロ2世教皇も 引退を考えた事があったらしい。
2000年の聖年の責務を果たし、次の3千年期へと橋渡しをした後、身を退こうかと。
そこで自分の役目は 果たしきったのではないかと。

けれども教皇様は神の御旨に任せて、老いと病に疲れきった体を 神の道具として使い続けた。

そういえば、ブッシュ大統領にも イラク戦争は避けるようにと助言されたが、ブッシュの方はアメリカの理論を押して突き進んでしまった。去年の葬儀に列席していたけれど、ブッシュ大統領はどんな心境だったんだろうか...と、これも余談。


ジョバンニ・パオロ セコンドは 21時37分、父の家に帰られました。

そんな風に 去年の4月2日、イタリア国営テレビは15分ほど後になってから前教皇の死を報じた。 アメリカでは午後4時になろうかという時だった。

圧倒されるような感情が胸に込み上げた。
訃報を聞くのを 怖れていた反面、ああ、達成されたというような。

老いた教皇様の死を嘆くというのではなく、若々しい一人の偉大な聖人が生まれたという感覚に捕われて。 天の国で、清らかな赤ん坊が天使たちに囲まれているような...。 そして イエズス様やマリア様と顔と顔を合わせ、 よくがんばりましたねと ねぎらわれておられるような。 どれだけ至福の世界だろう...。

そんな感覚を抱えたまま、数日間 喪の時を、 そして葬儀の模様をテレビで追った。

バチカンを訪れることが 叶わないまま、気持ちはそこにあり、そこにいる人々と一心であると感じていた。
リュック一つで訪れている若者たちを画面で見て、ああ、こんなふうに 私も自由に動けた時があったなあ、フランスとイタリアを ふらふら、ふらふら、飛行機のチケットだけを予約して あとは その場しだいで行きたい所に足を向けていたっけ...と昔(!?)を振り返ったり。

そして、偉大なお父さんを失くしたような思いで、寂しさから 何度も涙した。Mancanza(Missing)というのが 唯一の 悲しい涙の理由だった。

あれから一年。
サンピエトロ広場に、多くの、多くの人々が集まっていた。

Grazie, Papa Wojtyla! Ti vogliamo tanto tanto bene! Ci manchi troppo!
そんな声が聞こえてきそうな画面に、また心を揺さぶられた昨日だった。















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最終更新日  2006.04.05 03:21:30
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