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カテゴリ:Italian Teacher
前回の日記で 鍵が~! と騒いだが、 探し回って ヘロヘロになった状態でキッチンの食器棚の引き出しを開けたら... あった。嬉し~い! (時は 日付が変わった 夜中の1時過ぎだった) ゴミ箱に放り込んでたら、とか、ソファーの奥に突っ込んでたら、(これは本当に手を入れて探した。 ボールペンやら幼児用のジグソーパズルのかけらやら、いろんなものが出てくる出てくる...多分 小梅が おかたづけ のつもりで突っ込み続けたと思う)とか よからぬ推測で エラく苦労した。
でも鍵って、大事だよなあ... と再度 実感した次第。 伊織にゴミと要る物の区別がついていて 助かったけれど、 どこに置いたかは簡単に忘れてしまう時期、 これから また気をつけ直そう。 さて、教壇に立って三週間が過ぎた。 子供たちに イタリアに関するリサーチを宿題に出し、8日間も余裕を与えた後提出させた。 提出日を守る子、守らない子、きちんと調べて自分の形に仕上げた子、インターネットで印刷したリサーチをそのまま出してすましている子、適当にやった子、友達のを大慌てで写して出した子。 ま、いろいろあって 笑える。 提出日を守って、とりあえず 自分で調べた子にはAをあげた。 遅れたらB評価にするしかない。 遅れた上で相当いいかげんな(インターネットでローマの名所をチョコっと印刷しただけ。文章なし)ものを出した子には Cを与えて 「評価を変えたいと思う? アッシジの聖フランチェスコについて調べておいで。」とリカバーの機会を与えた。 できないわ、コンピューターが動かないんだもん、うちで。 平然と提出日が過ぎてんのに そういった女の子もいる。でもそんな言い訳は通せない。 他の子供たちがきちんとやっているのだ。そのことに対して 私の方から敬意というものがある。 やらなくてはいけない。出さずじまいになると、D(落第点)しか与えられませんから。 そう言うと、できないできないと言っていた子も、提出する。 いまだ提出していない 一人を除いた全員に、前に出て 調べたものを発表させた。 あとで、 Grazie mille = Thank You very much と黒板に書いて、生徒たちに お礼を言った。 本当に丁寧なレポートを出してくれた数人には、respect を感じるし、私もあなたたちをrespectしています。 私は、誰も落としたくない。 今回イタリアに関するリサーチを宿題にしました。 なぜなら、外国語を学ぶ時 殆どは boring(退屈)の連続です。 もし 習う言葉の国について 興味が湧かなければ、 あなたたちにとって外国語を学ぶことは意味もなく つまらないことでしょう。 てなことを、言った。 幸い -本当に幸いだが -なことに、イタリアは とても魅力的な国なのだ。 調べる甲斐があるではないか。 (←とは 生徒たちには 思えないかもしれないが。) 子供たちの発表は水・木曜だったが、その週の月曜、(Mrs.ウォーレンがテストを行なったのがその日だった。月曜の朝からテストを与える無慈悲さが彼女らしい...とひそかに感じた。)生徒たちがゲンナリとした表情だったので、ちょっとポーズを置いて 生徒たちに向き直って、聞いた。 Come stai? 調子、どう? コオオオメ、スタアイ、と特にCome(How?)にアクセントを伸ばして強調しながら。 疲れてるんでしょ。月曜日は難しいよね、調子を取り戻すまで。 私もよ。 で、難しいことを言うのをやめて、折り紙を出した。 色 に関する言葉を 学びましょう。 一人一人にいろんな紙の折り紙を配って、鶴を作らせようと 骨折った。 10分か15分で できるだろうと タカをくくっていたら、みな おっそろしく不器用で、一つ一つの折り方でつまづいていた。一人一人にいちいち教えるより他なかった。 なんと、鶴を折り上げるのに 翌日の授業半分まで時間を食ったのだ。 色に関する単語を列挙して教えるだけなら、5分で足りただろう。 自分の取った方法がよかったかどうか 自信はないけれど、(時間の制限を考えると、あまりお利口なやり方ではない) 色を実際に見た上で 説明した方が、楽しいんじゃないかな と思ってしまったのだ。 折り紙をただ colored paper として渡して終わるのも芸がないし。子供たち、疲れてたし。(苦笑) そんなこんなで費やした3週目。 さ、先の予定を立てていかないと。 ...GREの勉強、できないなあ。(涙) 裁判所にも出向かにゃ ならんし。 今日は San Padre Pio の日。 告解とミサにあずかってこよう。 運が好ければ、強くて信仰心の強い ○神父様にあたるかもしれない。(名前を存じ上げないのだ) 家族の危機が救えるかどうか、サポートを頼めるかもしれない。 ...誰か見つけてこーい! と夫が騒いでいる。 He's lost.(自分を見失っている) という感じだ、 夫は。 悩める癇癪持ちの仔羊が そこにいる。 その妻でいるのも キツイことだけど、家族が救えたらそれに越したことはない。 多くのカトリック信者仲間も、神父様たちも だれも別れるなと言わない。 むしろ その反対で 別れろ、別れろというのが今の情勢。 私の心の声は、イエズス様に依っているのみ。 もしも赦しを乞われたら、7の70倍までも赦しなさい。 夫が戻りたければ、私は赦す。 戻らなければ、その現実の上で生きる。 彼はどうしていいか、わからなくなっている。 離婚訴訟を完遂するべきか、やめるべきか。 He's very, very lost. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.17 07:11:32
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