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カテゴリ:パタパタと過ぎた日々
家事・子どもの世話・イタリア語の授業 で手一杯の日常(それに離婚問題ってのもあったわね)に、クリスマスショッピング(サンタさんも走る師走だ)も手伝って、クリスマスカードになかなか手がつけられなかった。 実はそれ以外に、感謝祭後に ひどい風邪を引き込んで、ただありがたいことに熱は出なかったけれど 喘息並みの咳状態に陥っていた。
で、クリスマスカードを手がける前に思ったのだ。 菌を移してはいけない。 エアメールで こんな咳コンコンのウィルスが飛んでいったらどうする。 しかも私が書く送り先は、年配の人が多い。 かなり真剣に考えて、この風邪が下火になるまで 控え目にしておいた。 で、クリスマス前最後の 一人の週末が今。 書いていた。一生懸命に。 郵便配達(一緒に書いた手紙を持って行ってくれる)のJさんが 来るだろう ちょっと前まで頑張って、もうそろそろ来そうだなと思った時点で 手を休めた。 ギリギリに慌てて書きなぐったカードを送る気には、やっぱりなれない。 まにあうのかな~、とカレンダーを見ると焦るのだけど。 ま、クリスチャンでない家族や日本の友人には 年賀状感覚で送ることにした。 落ち着いてじっくりとカードを書けるのが一番の理想です。最近になって気がついたけれど、この時期ローカルラジオ局は こぞってクリスマスソングを 一日中 流し続けている。 あら、こんな楽しいことしていたのね、毎年この時期には。(笑。今頃気がつくか? 6年もアメリカに住んでて。) 実は、イタリア語の授業も 何となく何かしたいな~と思って、かわいいプレゼーピオを置き、ミニクリスマスツリーを置いた。それでも私の教室、殺風景ですが。 で、Santa Lucia (St.Lucy)の日が12月13日(水)だったので、その週の月曜日にイタリア語の歌詞を配って "Santa Lucia" を歌いましょうと 試みた。 歌うのが苦手な子どもは 苦笑と嘲笑が混じった顔をしてたけど。 そこで さらに夫に "Caro Gesù Bambino” の歌詞を調べてもらって 翌日配って、これもやろうと持ち掛けた。 別にクラスの中だけだし。私はマンドリンを弾くわけだし。 でも、歌を教えるには歌わなきゃならなかった。ウウウ。 まだ咳が出る状態で、ギリギリの高さのキーで歌うのは辛い。でもキーを変えると、マンドリンの指運びも変えないといけなくなる。 そして水曜日。 みんな歌ってね。 ...子どもたち、 蚊の鳴くような声で歌った。 私のマンドリンは アガリも手伝って 冒頭ボロボロだし。嘲笑型の男の子なんか、ずっと後ろ向いてジェスチャーでおしゃべりしている。 しかし。 ここで弱気になってたまるか。 で、Caro Gesù Bambino もやって、(ちょっと演奏が落ち着いた。)子どもたちに マンドリン、触わりたい子いる? と聞いた。 こんな時、子どもの 元々の性格が出てくる。 興味を持って元気に手を挙げる子、もう一回と触わりたい子、無関心な子。目がキラキラしている子どもの表情を見るのが やはりこちらは嬉しいもの。 さ、じゃ授業に戻ろう。 本を開いて説明をし出すと、丁度その時 校長先生が現れた。 校長先生、 マンドリンを弾くというと 見に行くわ、と言っていたのだけれど、授業の始めにやりますと知らせたものの多忙のためか 不在だったのだ。 あ、もう終わってしまって... でもにっこりと、校長先生は "サンタ・ルチア”だけでも もう一度やってくれる? 聴いてみたい。とリクエスト。 もちろんご要望とあれば。それにマンドリンを弾くのも 最初のコチンコチン状態よりはスムーズだし。 で、演奏を始めて子供たちの歌に入る。 ... ちゃんと声が出てる。 こっのオオォォォ~!!! 偉いさんたちの前では 思いっきり「いい子たち」になってんの。 まったくも~。(笑) でも実は、 心の中に ディビッド(ダビデ)君を思いながら 演奏した。 脳腫瘍で この秋に息を引き取っていたことを、その前の金曜日の夜、 Christmas in Village というローカルなお祭りで 子どもと夫と 彼の年長の姉と過ごした際に、 尋ね知ったのだった。"C'era qualche notizia su David?" (ディビッド君のニュース、何かある?) うん、知ってる。 そう言って黙る素振りだけでもう、答えは見えていた。°E' scomparso, vero?" (亡くなったのね。) うん。 "Quando?" (いつ?) "Questo autunno, ho ricevuto una telefonata da Laura e l'ho saputo." (この秋ラウラから電話があって知った。) そうか...。 いつ その日が来ても 不思議のない 彼の病状だった。 Fundraisingで見たディブ君は、 中の腫瘍が 彼の頭の形をいびつに変えるほど 大きな病を抱えていたのだ。 既に眼帯をして、視神経が圧迫されているのか 補助無しには歩けなかった。 車椅子や お母さんに支えられて動いていたのだ。 "Quanti anni aveva?” (何歳だった?) 12歳。 知り合った時、6才か7才だったんだな。 かわいい、ちいちゃな男の子が ごく普通に大きくなっていって プリティーンになろうという矢先、病魔に襲われた。 ファンドレイジングの場ではもう、私より背が高くなっていたのに。 Core d'Italia と銘打って 活動していたグループの子ども部門でがんばっていた ディブ君。 ケアセンターで クリスマスミュージックとフォークダンスをサービスした時、後で ジングル・ベルをピアノで弾こうと右手で 間違え間違え キーを叩いていた彼を覚えている。 ピアノの先生に、小梅が ジングル・ベルなら ちょっと弾ける。 そんな風に答えて、私をオヤッと思わせた。 今回 クラスで弾いた音楽は、どこか哀悼の気持ちに近い。 ディビッド君、安らかに。えらかったね、苦しい病気と闘い続けて。 元気一杯の 自分のクラスの子どもたちを見ながら、健やかに...と祈った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.12.17 06:23:44
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