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こだわるか、と言われたら やっぱり自分の中で こだわっている 力士の死亡事件。
ミャンマーの軍事政府が デモを繰り広げる僧侶と市民を 武力で制圧している件も。 この2つに共通しているのは、 外とコミュニケーションが取れないように 持って行こうとしている点。 虐待を それとはっきり見分けるポイントかと思う。 17才少年力士の遺品は、真っ二つに割られた携帯電話だったという。 彼がもし、警察に 兄弟子たちや親方に殴られている事実を伝えて 助けを求めていたら、 傷害の現行犯で 加害者側が検挙されて、 彼の命は助かっていただろう。 皆で 彼がどこにも連絡できないようにしていた。 死後も 親方は 家族に遺体を見せず、 火葬にしてしまおうと謀っていたし。 ミャンマーでも 鎮圧部隊に長井さんが狙われたのは メディアの人間だったからで、そこで起きていることを外に知られることを嫌ったからだろう。 しかも その後、軍事政府は インターネットの接続もできないように、外から情報が入ることも 内から情報が漏れることも できないように情報網を切っている。 もともと、軍による独裁政治を敷かれる前は あの国は ビルマ だった。 ビルマの竪琴 という本は 読まずじまいだったけれど、本のタイトルと 要約された内容だけは漠然と頭に残っていて、(多分読書紹介とかいうのを よんだんだろうな、子供の頃に)なんとなく ビルマ、という国名と 哀しげなハープの音色がくっついたイメージが ある。 表に出て都合が悪いこと、というのは どこか黒いものがある。 虐げる側に 虐待している意識があるのかどうかは ともかく、隠そうとする時点で もうそれは 言い訳のしようの無い 後ろ暗さを 抱えているという事だと思う。 戻せない命。 命を守れないで壊してしまう組織の存在は、神の御旨に逆らうものだと 私は思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.09.30 10:37:28
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