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2007.11.15
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ほんの少し溯った訃報だったけれど、記録しておきたいので ここに残しておこうと思う。

バチカンで 11月8日、 濱尾文郎 枢機卿が逝去された。
77才。 肺癌のため。


実は 伊織に 10日間のテレビ禁止令 を申し渡して実行している最中で、子供たちが寝ついた後で 録画したNHKのニュースを観る、ということになるけれど。
疲れていたり、忙しいと 数日分がたまっていたりする。


11月11日(日曜)の夜だったか、11月9日付けのニュース番組を観ていて、テレビ画面の わずかな帯に英語で トピックスのニュースが スーッと走るのを目で追った。

Fumio Hamao... died... え、そんな...。


ニュース番組は その日、伝える内容が豊富だったのか 濱尾枢機卿死去 というニュースは 表に出なかった。
結局 朝日新聞のサイトで おくやみ欄を探して 情報を得た。


葬儀は 12日に 文京区の関口教会で とあって、バチカンからお戻りになられるのだなあ、と 何故かしみじみと思った。


私が東京で受洗した頃、 クリスマスなどで横浜の山手教会だったろうか、今はトラピスト修道女のフランカさんや 同年代の信者友達と一緒に訪れて、濱尾司教に そこで初めて御目にかかった気がする。
ただ、もしかしたら 受洗した四谷の教会で だったかもしれない。



ローマに2ヶ月だけ滞在した際、現地の カトリック日本人会(というか、日本人のカトリック信者や聖職者は 殆どが長崎出身の方々で、長崎県人会 という雰囲気がしないでもなかったが)の世話役の方に、どこそこの教会で日曜、日本語のミサが挙げられますので、と教えていただき、足を向けた。


記憶の中では、どうも日本語のミサに ローマであずかったのは その一回きりなんだけど、(私にはイタリア語か ラテン語のミサの方が、魂の中にスッと染み入ってくれると感じて それ以降 イタリア内で日本語のミサに出席したい、とは思わなくなった)

その日、その場所で ミサをたてられたのは 濱尾司教様(当時) だった。



神父といっても、がっしりとした外観で、強面、しかもブスっとしておられるような印象まで受けた私だったが。


そのミサでの説教で、濱尾司教様は 言われた。


カトリック教会の 中心は、信徒である あなたたち、ひとりひとりです。
教会の権威とか、バチカンとか、聖職者たちが 偉いのではない。あなたたちに仕えるために それらは在るのであって、 信徒が教会の核です。 そのことを、いつも意識していてほしい。


と いうような意味だったと 漠然と覚えている。



受洗した四谷の教会でも、洗礼を受けた直後の信徒たちを前に、イタリア人の宣教師で それはそれは厳しい、と噂だった神父様が 説教に立たれて、言われた。

どうか、洗礼を受けた 今の段階に止まってしまわないでください。
あなたたちは幼子のようなもので、その信仰を 今から、成長させていかなくてはならない。
多くの受洗者が、受洗後に何も知ろうとせず、そこに留まっている。
でも、今聴いている あなたたちは、そこから先へ、各々が その信仰を深めるよう努めてください。




上記の二つの説教の内容は、ずっと楔のように私の心に打ち込まれて、
幸運なことに、本当に幸運なことに、
イタリアで数年住む、という中で 自分の内のカトリック信仰は 大きく育っていった。



イタリアを離れる時が来て、 そのほんの直前に

アッシジの聖フランチェスコが ずっとお守りくださっていた


と強く感じられる瞬間があって、
私は 泣きそうになっていた。


最後に、アッシジにもう一度赴いて
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の 聖フランチェスコが息を引き取られた聖堂で 膝まづいて、感謝の祈りを捧げた。



後々、渡米して生活する中、 ふと思い立って シモーヌ・ヴェイユ の伝記を読んだ時、
彼女も 同じ所で 膝まづいて祈っていた ことを知って


時を越えて 彼女と、聖フランシスコを通してつながっていた という感慨で、心が震えた。




濱尾司教様も、私の中で カトリック信仰の在り方 といったものを教えてくださった 師の一人だと思う。


日本では、お兄さんの濱尾 実(先に亡くなられている)元東宮侍従長 が より著名だったかもしれない。


あの、がっしりした、一見無愛想にも見える、
でも 口を開くと内面の温かさがうかがいしれる 濱尾枢機卿の 死去 の一報は
秋風が冷たく吹き込むように、心の中に 寂しさが通り抜けた。


御安らかに。





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最終更新日  2007.11.15 13:56:42
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