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カテゴリ:家族
呼吸器系を病んでいる父が、息を詰まらせ詰まらせ 電話の向こうで こう言った。
墓なんか いらんわい。 墓守りしてくれるもんが、おらん。 千の風になって っちゅう歌があるやろ。 墓に来てもろても わたしは そこにいません いうて。 11月に家の墓に参って来て。 もう来られんわ、身体がえろうて。 これで最後やで、そう言うといた。 年寄りは あの歌をそう解釈するのか~、と 内心驚き、かつ いないと言いながら 墓前で先祖の霊に これが最後ですと挨拶して来たのか~、 と矛盾を感じながらも そおかあ。 次は現地集合やな。 と応じる私。 アッハッハー と電話で互いに笑いながらも 父の心の準備と、その内にある悲しみを 改めて思い知る。 兄夫婦の 側に引っ越して もっと寂しい思いをしている父の様子。 名前を継ぐ人たちが いるけれど、頼れない。 元 住んでいた実家の近くで、葬儀社への積み立てや 墓購入まで 既にしていた両親。 段々 その日 が近づいて来た 今になって、解約をしたりしている。 アメリカに根を下ろした私では あまりに役立たず。 口を挟むのも おこがましい。 ずいぶんと 親不孝ばかりしている。 それではと 父に告げ発つ 故郷の 夏 誕生日 六十五歳 こんな私の短歌も、 これが二十万首から選ばれた 1,348首の中の一首として 本の活字になっていたことも 父は知らぬまま、 時が流れた。 何となく気恥ずかしくて 今日に至る迄 見せそびれている。 もうあんまり、 時間がない。 そんな気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.15 10:49:57
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