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カテゴリ:考える日々。。。
今朝、出かける用意をしながら
見ていたTV番組「認知症のお年寄りのケア」について。 ご覧になった方、いらっしゃいますか 身につまされる内容でしたよね 現在、日本では「認知症」の方が 200万人もいらっしゃるそうです 2015年には、推定・250万人・・・ この数字は、今後増えこそすれ、決して減ることはないのでしょう。 日本は深刻な高齢者社会なんですよね・・・。 全体に希望のない番組だと思いきや・・・ さすがに福祉国家、北欧だな~と 感心する内容が、引き続き放映されたのです。 ハンドマッサージ スウェーデンの老人ホームで取り入れているプログラムだそうです。 介護の方が、患者さんの手にたっぷりと オリーブオイルを塗り、ゆっくりとマッサージしていくんです。 すると・・・ それまで、聞くに堪えない暴言を吐いていたおばあちゃんが・・・ だまって、気持ちよさそうにじっとしているんです。 終わった後に・・・ 「気持ちがよかった。ありがとう」と、しみじみ・・・ 介護職員の方には、本当に頭が下がります。 仕事でなければ・・・つまりお金をもらえなければ、ということです。 決して、こんな報われない仕事はできないのでは、と思います。 だって、親身になってケアしている相手に向かって 「痛い!何すんだよ!」 「死ね!」 とか、すごい暴言を吐くんですよ。 耐えられますか? 介護疲れの家族が自殺してしまう・・・ というのも、むべなるかな。 ふと、夫のことを考えました。 彼の仕事は、介護ヘルパーではなく 整体・リハビリテーションの方です。 が、しかし・・・ 現場のことは、よ~く知っています。 家で、職場の話はめったにしない人なんですが たまに、話します。 「認知症の人のケアは、絶対に家族ではできないんだよ。 本当に大変で、抱え込むとつぶれちゃうからね」 私たちは、数ヶ月ごとに、介護施設を訪問して アルゼンチンタンゴを躍らせていただいています。 100歳なのに、しゃんとしているおばあちゃん なんかにお会いすると・・・本当に感動します 誰もが、何とか元気で生を閉じたい、と願っているのに 家族を苦しめて、自分自身の尊厳すら保てなくなる人と、 何とか自分で自分を支えながら、 ゆるりゆるりと最期まで生活できる人と、 その一線を分けるものとは、何なのでしょうか・・・。 私は、ここに 癒し、癒される ことの深い意味を感じるのです。 今朝、TVで見たおばあちゃんの怒声。 「あんた、何やってるんだよ! なんで何回も何回もこんなことさせるんだよ! 痛い!死ね!」 ・・・正気であれば、言えない言葉ですよね。 おばあちゃんは、ご自分の意識があってしっかりしていた頃 誰かに、この言葉を言いたかったに違いありません。 でも、言えなかったのです。 長い長い間、我慢していたのです。 自分自身の中に封じ込めた「怒り」「感情」「言葉」が 少しずつ、少しずつ、鬱積していって・・・ ついには、自分の記憶がつながらなくなった今になって マグマのように噴出してしまったのでしょう あるいは、 誰かに優しくケアされたくて、甘えたくて でも、それが叶えられることがなくて・・・ 人生の最期に、 誰かに世話をしてもらう、という選択を 潜在意識が選んでしまったのかもしれません。 生きている間に 元気でいる間に やり残していることがないかどうか 恩を返さないままにしていないかどうか 本当の願いを閉じ込めていないかどうか 癒されているかどうか : : 私たちは、十分に考えなくてはなりません。 最期には自分自身に必ず復讐される のですから。 人生は、必ずどこかで帳尻が合うようになっています。 人が人である限り・・・ 誰もが癒されたいのです。 そして、その自分も誰かにとって 癒しの存在であるべき、なのです。 癒しとは、セラピーのことではないのです。 アンジェリーナ・ジョリ が、自著の中で このように語っていました。 セラピー? そんなものはいらない。 私が選ぶ役柄。演じる役がセラピーよ。 人が生きる上で、 他者の存在を必要とする限り、自己尊厳を保つために必要 なものなのです。 そうした意味では 「アルゼンチンタンゴセラピー」とは 私にとって、表現であり、自己承認であると言えるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 28, 2010 05:40:13 PM
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