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カテゴリ:生き方・考え方
ココ最近の私は、
以前の私に比べると 格別に強くなったように思う。 強くなった分だけ 自信が出来たのか。 自分で「明るくなったな」 って感じる。 もともと暗い性格ではないけれど、 潜在意識にまで染み込んだ、 抑圧された弱さが時々私に コンプレックスを自覚させた。 どっか濁ったような、 そんな笑顔しかできなかった。 ・・・ように思う。 今思えば。 そんな弱かった自分が最近 めきめきと強くなっていっている。 それは私が、本当の意味で やけどを克服出来てきてる からじゃないか・・・・と思う。 今までの私は、やけどを、私なりに 受け入れて生きてきたと思っていた。 でも、それは違っていたと ココ最近思うのだ。 いやモチロン、受け入れてはいたけれど 克服とは程遠い位置にあった。 「受け入れる」ということは まず現実を認めた上で 客観的な目で事実を見つめ、 ならば自分に何が出来るのか 何をすべきなのか、策を講じ 改善出来るように工夫する。 その過程を言うのじゃないだろうか。 実際に行動を起こし、努力を重ね、 何らかの手ごたえを実感して初めて 受け入れるという一連の動作が完了し、 「克服した」といえるのじゃないだろうか。 受け入れているだけの状態では 潜在的な苦痛が体に内在する。 でも克服できた瞬間、体から 苦痛が放出されるような そんなイメージ。 マラソンで言えば、 走っている間は受け入れている時間で、 ゴールした瞬間が克服できた瞬間。 どんなに苦しくても、不安でも、 スタートした以上は最後まで走りきらないと、 途中でやめたら苦痛だけが残ってしまうのだ。 ゴールしたものだけが味わえる達成感とか喜び。 それこそが本当の自信に繋がるのだと。 今までの私は策を講じ 工夫はしてきていたのだけれど。 実際に「行動に移し」、社会復帰という 一つの結果を得ることで、今までの 全ての行動が実を結んだような 自信が生まれた。 「どんな自信よ?」といわれたら 「何」とは答えられないけれど。 おそらく今の私の笑顔が 何よりの証ではないかと思う。 やけどを克服した証。 手術によってかなり改善はされた。 顔に限って言えばかなり。 でも、前より顔がきれいになったから 笑顔になれたというわけじゃない。 モチロンそれもあるけれど それが全てじゃない。。 まだまだ体のあちこちに傷は残っているし まだまだ生々しい赤みを帯びた手術跡だって たくさんある。 それでも今の私は、それがまったく気にならない。 前と変わらずそこにある傷跡の、 その存在自体が気にならなくなった。 本当に不思議なんやけれど。 本当に不思議なんやけれど。 心が元気になった。 元気な気がするのではなく 本当に元気になれたのだと思う。 今の私は、 体はがちがちに疲れているが、 心はストレスフリーだなと思う。 笑顔が濁っていない気がする。 心配したことのほとんどは 統計的に起こらないのだと 誰かが教えてくださった。 その通りやったなぁー。 何とかなるんもんやなぁ~って思える。 行動の結果。 自信を手にした。 あの時。 目先の不安に足をすくめて 立ち止まっていたら 今の私はなかっただろう。 自分の弱さに向き合った。 それでも諦めることなく進んで来た。 弱い自分が肥やしになって、 今の私に成長できた。 これこそ私が切り開いてきた結果。 自分で切り開いてきた道。 でも。 家族や友人の協力無しには 成し遂げられなかった 中でも、 特に大きかったのは 母の存在。 明日は母に思い切りの感謝を ちゃんと言葉にして伝えよう。 お母さん。 今日の私があるのは あなたのおかげです。 澄み切った笑顔を 母に向けようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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