テーマ:心のかたち、人のかたち(951)
カテゴリ:実家の姉のこと
仕事で一家でアメリカに住む実兄と、これまた仕事でローマに住む弟からメールが来て、
「GW中、姉を少し骨休みさせてやってはどうか?」と。 離れてる奴は好き勝手言いやがってと思ったが、結局、私も大差はない。 同居してる人ほど、大変なわけじゃなし、実の親子といえども、姉の苦労は並大抵ではなかろうな、と思い、昨夜、仕事で帰宅午前1時だったカースケを朝からたたき起こし。 幼稚園のある日は、どうしたって、絶対に7時より早く起きない娘は6時半前からおきてたので、「姉ちゃんとこ行こうか?」 って訊くと 「行く、ジュウちゃんに会いに行く」と元気なので、娘と二人で旦那をたたき起こして、いざ実家へ。 実家に着けば、娘は、リスに挨拶し、庭に出ては、犬と転がって回り、それに旦那まで一緒になって転がって回って、実家の庭の芝生もあれじゃたまらないだろうなってぐらい。 姉に、兄と弟から、こうしたメールが届いたことを話した。 姉「休みやれって言うなら、姉ちゃん宛の小遣いと、陽菜ちゃん宛てのバイト料も振り込めって。姉ちゃん失業中だよって」 私「兄ちゃんに連絡しようか」 姉「(笑)冗談だよ、兄貴のことだからすぐ本気にするから。第一、兄貴から小遣いもらわないといけないほど、経済的に困窮してないわ。ま、あいつら言うことだけは言ってくるんだな・・・ハハハ」 私「兄ちゃん、いつまで転勤してあるくんだろ?」 姉「定年まで(笑)子供が中学ぐらいになれば少しは考えるかもよ、自分だって転校を繰り返すのはイヤだったって言っておきながら、親父さんと似たようなことやってるんだから」 私「姉ちゃんは、もう、前の仕事みたいな仕事しないの?」 姉「そうねぇ。声掛けてくれる人もいるんだけど・・・・どうだろうね」 私「もう、いいじゃない、前々から言おうと思ってたけどさ、もうしばらく働かなくてもいいじゃない。姉ちゃん、ずっと働いてきたんだもの。もう、出張だ、転勤だって仕事するのはやめようよ。また倒れたらどうするの。」 姉「働かなきゃ、一人だもん。自分の食い扶持稼がないとね、全然働かないわけ行かないでしょ」 姉は、中学の時からアルバイトを始め(新聞配達&牛乳配達)高校の時も、放課後にスーパーの商品だしのバイトに行き、それでいて大学も現役で合格して、大学時代もバイトと学業の両立をこなし、大学卒業後は、商社に総合職として就職して、昨年の春、倒れるまで、ずっと働き続けてた。 そんな姉を、父方の祖父は、 「あれは軍鶏じゃ、18人いる孫の中で唯一、軍鶏じゃ、他の男の孫もあの子には絶対に勝てん」 と言ったらしいし、母方の祖母は、祖母で 「あの子は、私以上の職業婦人となった。日本にもあぁいう女性が出てきたのであれば、私達の運動も間違いではなかった」 と、言ってたらしい。 父方の実家は、山林地主で、父方の祖父は戦前、侠客のような仕事をしていたらしい。母方の祖母は、戦前は、軍人の妻だったが、結婚以前から、婦人解放運動などを行ってた人で、戦後もずっと働き続けてた人。 そういうDNAを姉は一人で受け継いだのではないか、と、思うときが時々ある、なぜなら、親戚中、兄弟中、見渡しても、姉のような「強い人間」はいない。 働かなきゃ、という、姉に、 私「姉ちゃん、結婚はもうしないの?」 姉「結婚、結婚ねぇ、しない!!!私ね、若い頃、旦那いらないから子供だけ欲しかったの。でもね、はたと考えた、私は、旦那いらないって思って子供産んでも、その子供はパパと一緒に暮らしたいと思うかもしれない、その子供の希望を母親の都合で奪うことは、子供に対して許されることではないと判断したから、子供も持つまい、と決めたの。でもいいよ、姪も甥も可愛いから」 私「どうして旦那いらないなの?」 姉「家庭というものを作れる自信が無かったんでしょうね、仕事と家庭を両立できる自信が無かったのだろうね、私が大学卒業して就職した頃、約20年前、男女共同参画とか、雇用機会均等法とかが改正施行されて間もない頃だったけど、それでも女性が働くのは厳しい世の中だった。必死だったのね、同期の男性社員に負けたくない。また同期の女性社員にも負けたくない。女のくせに、とか、やっぱりオンナはって言われるのがイヤでね。同期の中で最初に海外研修にも行けたし、頓挫するのがイヤだったの。家庭を持って家族が出来たとき、働いてるから、家のことが出来ない、って言いたくなかったし、かといって、毎晩11時過ぎに帰ってて、朝は7時前から会社に出て、それで家の事も仕事も出来る自信なかったから・・・」 姉「結局ね、私って人間は強がって生きてきたんだなって思うの。仕事しなきゃ、勉強もしなきゃ、家の事もきちんとしなきゃ、手を抜いちゃいけないんだ、手を抜けば、お前は敗北者だ、みたいな、強迫観念に自分をさらしてたのかも。だから、自分を強く見せようとして、よろいカブトで固めてたから、素の自分をさらけ出せる場を作れなかったのかもね。」 私「違う、姉ちゃんは強がってたんじゃない。本当に強い人なんだよ。責任感あって、責任感が強すぎるくらい強いんだよ、人としても強いんだよ・・・」 姉「強くなんか無いよ、寂しがり屋だよ。だから菜っちゃんにも会いたいと思うし、兄貴のところのチビ達にも会いたいと思うし、ゴルフも行くしカラオケも行くんだよ・・・神様はね、よく考えてらっしゃると思うの、私みたいに神経質な人間が母親になったら、子供は大変だよ。成績が上がらない、それ以前に、オムツが外れない、おっぱい卒業しない、言葉が遅いんじゃないか、体重が大きい、身長が小さい、って、大変でしょうな(笑)だから、神様は、私に子供を持たせなかったのだ、とそう思うのよ」 私「やっぱり強いよ。だけどさ、仕事はもう少し、もう少し、働かないで療養しようよ、お母さんの看病は私も手伝うけど、仕事するなら、パート勤務で近場でさ、毎日、高速飛ばして行くような仕事しないでいてよ、また倒れたら、もうイヤだもん」 姉「それなんだよね、また倒れるんじゃないかって時々ものすごい不安になるの。そういう時は色々考えないようにしてるんだけどね、ま、とにかく、私はいいから、あんたら夫婦、遊び行っておいで、菜っちゃん、預かってやるから。夫婦二人で水入らずでさ。旦那は今日の次はいつ休みなの?」 私「GW後半は休み入ったけど・・・・」 庭の旦那と娘を見たら、犬の吾朗と娘と旦那の三匹で、川の字になってイビキかいて寝てました。 それも、きちんと、父が準備した、日よけのパラソルの下で。 番犬がイビキかいて寝てたらねぇ、と、言いながら、庭へいく姉の後姿に向かって言いました。 「貴女は決して、強がりではなく、真の強さを持った人なんだって」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月01日 02時23分57秒
コメント(0) | コメントを書く
[実家の姉のこと] カテゴリの最新記事
|