テーマ:心と家族と人間関係(1216)
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私は、兄弟四人の中で突出したほど能天気な性格。
掃除してなくても、ま、いいかって調子だし、あら、洗い物たまっちゃったけど明日するかってな調子。これが、姉なら、お風呂はいる前に自室に掃除機掛けて、お風呂入ってる間に、洗濯機回しておけば・・・ってな感じなんですよね。 そいでもって、娘が、トイレ失敗しても、ま、いいさ、まだ3歳だもんってな調子で、友達が、うちの子、まだトイレ失敗するのよって言うのも、大人だって失敗する時は失敗するかもよ~ってな調子な。たぶん、姉なら自分の指導方法に何か問題があるのでは・・・ってきっと小さな文字がびっしりなったハードカバーの本とか読み出すのだろうねって先日も姉と話したものだった。 しかし、同じ親から生まれてどうしてこうも違うものだろうか、と、ちょっと気になって。 と、言うのも、旦那の兄弟を見ていて思ったのです。 旦那はどちらかと言うと能天気の暢気君。 旦那のすぐ下の妹は、これはね、活発というか、旦那に言わせればブルドーザー、何事も事後報告の人、しかし、自分で決断し実行したことは自分で責任取るのが当然、正しいことじゃあるけど、猪突猛進型、そういう性格だから、アメリカ人と結婚して、ポーンとアメリカ行って、小さいながらもインテリアデザインのオフィスを持ったのでしょうけど。 で、旦那の兄弟の一番下のトースケと来たら、金銭感覚がズボラいい加減と来てる。最近じゃ顔を出さないので、少し平和・・・ そこで、うちの兄弟も考えてみて思った。 四人兄弟の上二人、兄と姉、この二人、本当に、絵に描いたような長男・長女、長の着くのがピッタリと言わんばかり。で、持って、下の二人、二女の私と二男の弟。弟は末っ子のせいか、どこか甘えん坊だったが、中学から寮生活送ったせいか、私より自立するのが早かった。しかし、今だ結婚もせず、ご縁が無いのかなぁ、俺は子供作るより建物作ってるほうが性にあってるもんなぁって始末。 で・・・いくら、上の二人がしっかりしていたからと言って・・・親の育て方か?そこで、思い切って母に聞いてみた? 「ねぇ四人、それぞれ、育児方法でも変えた?」 と。 母曰く 「そんなもん、考えてる暇なんて無かったわよ。お父さんは仕事で普段はいないし、一人で育てたようなもんよ、兄ちゃんの時、こうだったから、と言っても、お姉ちゃんの時はまた違うし、か、といって、あんたは言うこと聞かない子だったし、一番下の時はいい加減、疲れてたもん、今みたいに母親向けの雑誌もそう無かったし、一日、家のことと子供の世話、そして、何ヶ月かに一度、お父さんが帰ってくればまた忙しいでね、育児方法も何もあったもんじゃなかったわよ」 父は国家公務員で、仕事で転勤も多かったけど、一度、仕事に出ると数ヶ月帰宅しない事が多くて、幼い頃の父の思い出というのがあまり無いのですよね、父の勤務先は、当時定年が早く、定年後、民間企業に再就職しましたけど、最初の退職金も運用は、母任せ、自分の老いてからの生活なんてものも全く気に留めてなかったという話を私は大人になってから、母に聞いた。 二度目の就職先を定年になってもらった退職金も運用はこれまた母任せ、この頃になると、姉や兄がそういう方面に詳しくなってたので、母は随分、ラクだったと言ってました。 とにかく、うちの父は悩むということをしない人。だからといって、即決するとかでなく、暢気で一歩間違うと無責任男みたいなところがあるのだが、それでいて、外面は良かったらしい。 母と父方の祖母との折り合いというのは、あまり良くなかった。しかし、父はそういうのも気づかなかったのか、本当に知らなかったのか、それとも知ってて知らん顔してたのか、気に留めてる様子も無かったし、また、母方の祖母は、女性でもきちんと仕事を持って、と、いう人だった為。父が母に専業主婦をさせていることに対して、憤りをあらわにしていても、それに対しても無関心なのか、気づいてなかったのか? 父と言う人は、仕事人間であって、家庭の中に自分の居場所が無いことに気づいてない人でもあったのですよね。一番呆れたのは、姉が大学入試で夜、家にいなかった時、仕事から帰宅した父は、 「姉ちゃん、珍しいね、もう寝たの。部屋に電気点いてないけど・・・まさか、こんな時間まで帰ってきてないの?」 って言った時。 あの時ばかりは、呆れ果てた。 私が大きくなる頃は、民間企業に再就職してて、毎日、確実に帰宅するようになってたから、親父さんと話すことも多かったけど、姉や兄が大きくなる頃は、本当に親父さんはいないこと多かったから、そういう面でも差があるんでしょうね。 私は、就職する時、そうそう進路で親と衝突することも無く、どこそこの会社を受けるんだよ、程度だったけど、兄と姉の時は壮絶だったから。兄にも姉にも、公務員になれってすごかったですもんね、自分が公務員だったせいもあるのでしょうけど、特に姉が商社の総合職を目指すなんて言った時は、商社なんてものはなぁってすごい状態だったけど、姉にクチで勝とうなんてのは、到底、無理。 とにかく、実家の親父さんは、自分の年金が幾ら入ってきてるのか、預貯金がどれだけあるのか、自分の保険がどれだけあるのか、税金をどれくらい払ってるのか、挙句には自分の洋服が衣替えでどこにしまわれてるのか、全く、知らない人。朝起きて、お仏壇と神棚にお供えして、ご飯食べて、犬の散歩行って、庭の花、畑の野菜、合間にコーヒー飲んで、犬を散歩に連れて行けば1時間は確実に帰ってこない、4時半頃になったらお風呂掃除して、お風呂立てて、夕方のニュース見て、その後もTV見て、ちょっとインターネットして息子や孫にメール送って、暢気な生活を送ってる人。定年になってすぐは、母の買い物に付き合いまくって、母が悲鳴上げた時期もあったですね。 うるさいって。 それでも、俺が何かしたか?みたいな感じで。 熟年離婚の新聞記事やTV番組見て、完全に他人様の事、自分には関係ないと思ってる人、若い頃、女でも作ったのじゃろう、ぐらいな感覚。何もしてくれなかったからこうなったんだって言っても、お父さんはお母さんにお給料全部渡してたよ、その中から小遣いもらってたんだ、ってな調子。そんな事あたり前なんだけど・・・ 時々思うのは、姉は、母の看病してくれてるけど、なんとなくだけど、姉も親父さんんのことは、放り出すのじゃないかって気がしないでもないんですよね。姉の成長過程の中で、親父さんって存在が無かったような気がするし、結構、姉は親父さんとは意見衝突させた時あったから。 喧嘩して、結局は親父さんが言い負かされて、親父さんが言うには、 「あれは、オナゴに生まれてくるオナゴじゃない、男の精神持って女の形で生まれてきおって・・」 って言ったところで、わが子じゃやろうがって思って聞いてたけど。 どっか、うちの父は、自分が親である立場な事忘れて、高みの見物的な発言をよくしてた。そこまで、ポーンとはなりたくないけど、何事もあまり気にかけないのは、やっぱり親父さん譲りか・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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