「 母さんが どんなに僕を 嫌いでも(歌川たいじ 著) 」を読んで・・・思うこと。
ごっ、ご無沙汰しております!余りに暑くって・・・ちょい、思考停止状態です。まぁ、思考停止は、気温に限らない話でも、あるのですが~♪先日、歌川たいじさんの漫画エッセー(?)を、読みましたので、その感想を、載せさせて頂きます、ねぇ~♪~~~・・・~~~母さんが どんなに僕を 嫌いでも ( 歌川たいじ 著 )2013年に、刊行された旧版コミックエッセーが、今年(2018年)、オール描き下ろしの新版として、発売されました。読ませて頂き・・・もう、号泣でした。人は、肯定できる過去ばかりを背負って、生きている訳ではありません。でも、今を生きるためには、自己肯定感も、少なからず、必要でしょ~。自分で、新しく、自己肯定感を、積み重ねることができる人は、いいのですが・・・どうしてもそれが出来ない人には、それを手伝ってくれる他人が、必要なのだと、思うのです。だから・・・「人は一人では生きていけない」と、言われる所以なのだと、思うのです。いろいろな場面で、号泣しましたが、ひとつ、場面を、紹介させて頂きますならば・・・歌川青年が、「(お母さんが)僕の気持なんかちっとも理解していないのに。 なんでこっちから理解してやらなきゃなん(ないのか)・・・」と、言いかけた時、喉の突き(?)と共に、友だちのキミツさんが・・・「理解は気付いた方からすべし ていうか 理解する力がある方が先に気づくの」って、おっしゃっていて。「道理」だなぁ・・・と、つくづく、思ったのでした。その時に湧き出す、不条理の感情や意地や恨み・・・という、感情ではない、言うなれば、建設的な、変化を起こすための第一歩、と、いうか~。それをしなければ、永久に、望む結果は得られないなら、また、逆に、それをすれば、望む未来が得られるならば・・・つまらない感情は置いておいて、理解へと踏み出すことの方が、何よりも、重要なのではないでしょうか。いつも思うのですが、個人的には・・・主張することの大切さも、分かるのですが、分かろうとする心は、その何十倍も、大切ではないかと、思っています。いくら分かろうと思ったって、他人の思いなんて、すべてを理解なんて、できるものではないと、思うのですよ~。でも、分かろうと思う心は、何よりも、尊いように、思えるのです。肯定できない過去に、押しつぶされそうな今を、生きる方々の、一助になるかも(?)知れない、一冊だと、思いました。いえ、ね・・・余談ですが、本当は、本屋さんで、出会いたかった一冊だったのですが~。なかなか、出会えなかったので、ネットにての、購入と、なりました~。そこは、ちょこっと・・・残念~♪