カテゴリ:私事の話他
書き込みが遅くなってすみません
月が替わったので、報告、記憶として書き込みます。 先月最愛の父が天国へ旅立ちました。まさかこんなに早く旅立つとは・・・しかも、体の弱いお母さんを残して旅立ってしまうなんて 今も何がなんだか分かりません。書きながらも涙があふれてきます。ボタンが見えず、間違って1000字以上打った文を消してしまいました。なので一回目とは文章が違うかもしれません 最後を看取ることが出来たのは私でした・・・その日は朝一回病院に行き帰ってきて、朝食を食べていた時です。 病院から電話があって・・・さっきまで血圧が安定していたのに・・・ 病室に着くと私が来るのを待つかのように息を引き取りました。私はずっと「皆が来るから待っててね」と声をかけていたのですが、誰一人間に合いませんでした。 皆には心配かけたくなかったので入院してることすら知らせてなかったので・・・近所や友人はモチロン、親戚にも・・・。 でも、話せるうちに会わせておけば良かったと後悔してます。 苦しまず本当に眠るように・・・何も言葉も残さず・・・ お母さんは体調が良くなく、ずっとお見舞いに来ることが出来ませんでした。私がずっとお父さんの看病をしてました。 それなのにやっと、病室にこられたのが、最後の対面になってしまいました。 泣きながら「もう、何で死んじゃったの・・・」とお父さんを叩いていたのは見ていて辛かった、しかも、その日は2人にとって特別な日でもあったので・・・。 今回お母さんは頑張りました。自分の体が大変なのに、喪主として最愛の夫を送り出すため、 動きました。親戚の助けも一切借りず。 日頃お医者さんからは絶対安静と言われていても、見た目では分からない厄介な病気のため、親族にも辛さは分かりません。 私達姉妹はその変化にすぐ気付きました。この時点ですでに血圧は上が300近かったらしく、周りの言葉も状況も分からない・・・二重の辛さです お葬式は業者の人が秘サービスをしてくれました。辛いのに頑張ったお母さんと私達姉妹へのご褒美だそうです。 その場で袴を作るというものでしたが、白い綿で着てるように本物そっくりの形を作っていく過程は皆写真やビデオに収めておけば良かったというほど綺麗で、まるで神様のようで・・・ お父さんは喜んでくれたと思いました この姿はお父さんを知ってる色んな人に見て欲しかったです。 愛情のこもった手作りが好きな私達家族は、自宅に飾る祭壇は業者に頼まず、遺影も自分達で作りました。周りに飾るお花はお母さんの好きな百合の王様カサブランカを雑ぜた特注なので、格安でも見た目は豪華な祭壇を作りました。 誰が何と言おうとこの部分は我を通しました。他はお母さんの好きなようにすることにしました。 前回の教訓で、安くて豪華にする 前回の祖母のお葬式から二年足らずで、今度は父が・・・祖母は90過ぎていたので大往生でした。でも父は・・・ お葬式はお母さんの体調を考え、親族だけで行いました。本当はお世話になった隣組や、仲の良かった知人、会社の人達にも参列して欲しかった 明るくて、誰とでもすぐに仲良くなって、外で笑い声が聞こえるとお父さんが話をしている・・・そんな風景が今も走馬灯のように浮かんできます 後日、訪問に来た古くからの知人は、お父さんがガキ大将で町内の小さい子や仲間をまとめていたと涙ながらに話してくれました。 色んな人から話を聞けば聞くほど偉大な人だったんだと知らされます。私ではお父さんの代わりは無理です。 でも、私達姉妹が何故、困ってる人を見ると助けてたくなったり、部長や会長、現場主任をしてしまうか分かりました。血ですね 何の見返りがなくても物をあげてします癖・・・。 お母さんもそういう立場の役職だったり、リーダー気質な性格なので どうやら遺伝らしく、嬉しくなりました。 でも、今私は、先頭に立つより、ほっといてというか・・・後ろでそっと見守っていたい感じ。 お母さんの好きな歌【千の風になって】お父さんは本当に千の風になってしましました。 今はこの曲を聴くたびにお母さんは思い出に浸りながら涙を流しています・・・もちろん私も 最近この曲をネタにしてるのをよく聞きますが、そういうために作ったのではなく、大切な人を失った方達に送る曲なんだと詞や秋川さんの歌声を聴いて改めて実感しました。 ここまで長文を見てくれた方がいましたら、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月20日 15時23分47秒
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