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カテゴリ:どんちゃん関係
私が参加しているMLより、Mさんのメールを紹介します。
このメッセージに対して、どんちゃんから返信がありました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー アメリカ先住民族の言葉には 「信じる」という単語は存在しなかった様です。 自然や全ての現象をあるがままの真実として 受け入れる姿勢で生きている彼らにとって、 「そうであると知っている」だけで十分なわけで、 「信じる」必要はなかったのです。 「信じる」必要があるとすれば、 それは「懐疑心」の現れであり、 真実以外のものが存在する証拠かも知れません。 ちなみに「知っている」と「思い出す」は 同じ意味・単語だったそうです。 ここで注目すべきことは、時制の感覚の違いです。 「思い出す」とは過去のことであり、 「知る」とは現在のことですね。 ところが、先住民にとって、 現在も過去も未来も全て繋がっているという 4次元的な発想が根底にあるのでしょう。 (余談ですが、中米の古代文明の言葉には 一つの時制しかなかったと聞いた事があります。) きっと、全ての英知は僕達の魂や天体に刻まれていて、 分からないことがあれば、瞑想や祈り、 数々の儀式(占いの類も含む)によって、 答えやメッセージを取り次ぎ生活をしていた。。。 と言うわけです。 ========================== 「知っている」と「思い出す」 当たり前のことだと思いました。 でも、その、「当たり前」 から、 すっかり離れてしまった我々の時代では、 それが、とっても新鮮なものと感じてしまいますね!(笑) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.15 01:11:27
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