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テーマ:暮らしを楽しむ(388204)
カテゴリ:その他のコーラス
私にとって山小屋での楽しみの一つは、夜の懇親会が深夜になり、一人また一人とベッドに行った後に誰からともなく始まるコーラスの昔話だ。
一番多いのは、やっぱりコーラス設立者であり初期の指揮者でもある人物の話。 大学の教授だった人が学生を集めて歌わせたのがこのコーラスの始まり。 この設立者と、設立期のコーラスに参加して指揮者と知り合い妻となった人、この二人がなかなかにクセの強い人物であったらしい。 当時は、とにかく指揮者が全権を握っていて、コンサートの手配もすべて彼が一人でこなしていた。 コンサートの地まで行くのは貸切の旅行用バスで、毎年のようにヨーロッパ圏内でのコンサート旅行も実施していた。 スタジオで録音された音質の良い音源も残っている。 コーラス自体は、今も昔も変わらず参加はまったくの無料だし、コンサートも入場料を取らない。 収入源といえば、観客から集める善意の寄付金だけだ。 そもそも1960年代、70年代の学生にそんな大金が負担できたはずもなく、どこからそんなお金が出てきたのか、当時から在籍する人もまったく知らない。 寄付金だけで賄える額では到底ないはずなので、足りない分は指揮者がポケットマネーから出していたのではないかというのが大方の予想だ。 お金を出させなかったかわり、運営に関しても指揮者はメンバーに一切の口出しをさせなかった。 コーラスのメンバーは今の倍ほどいて、全員がステージで歌えるわけではなく、誰がコンサートやツアーに同行できるのか、誰にどのソロを歌わせるかというようなこともすべて、指揮者の鶴の一声で決定されていた。 コンサートで前列に立つのは、指揮者の御覚えめでたい見目麗しい若い女声達で、衣装はひざ上20センチくらいのミニスカート 指揮者だって人間だから、お気に入りがいる一方で当然可愛がられなかったメンバーもいた。 とまあ、そんな強烈な話を聞きながら、 このコーラスがそんな状態だったら、私なら一学期も待たずに辞めただろうなあ と心の底から思う お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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