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テーマ:大人のお稽古(778)
カテゴリ:アンサンブル
アンサンブル練習の2回目、を前に、日曜日の夜に先生からのメールを発見。
連絡事項だけだと返事もくれないことの方が多い人なので、自分からメールしてくるなんて、珍しい。 ドキドキしながら読んでみた。 先生が市民大学でやっている講座の生徒さんの中に、古典音楽に興味のある人がいる。 古典音楽を歌うことは、以前からの彼女の夢だった。 彼女が、ぜひ一緒に歌いたいと言ってるんだけど、次のアンサンブルの練習に来ていいよって言ってもいいかしら? それとも、あなたのコンセプトを壊しちゃう? 女声が各パートにもう一人ずつ居ても良いかなって、思ってはいたのよ。 男声の声が力強いから、彼らに力強く歌わせてあげるためにね。 実は、前回の私のレッスンの時にも、チラッとそんなことを言われていた。 先生からは、毎回のように、アンサンブルをどんな風にやっていくつもりか、という点について、聞かれていた。 はっきり言って、何のプランもコンセプトなく、何となく勢いだけで始まったし、いつもの生徒さん発表会で歌うことくらしか頭になかったんだけど、先生からは遠まわしにプレッシャーを掛けられていた。 オットともそんな話をして、 レパートリーが5-6曲に増えたら、どこかで歌いたいね 教会コーラスで歌っている村のお祭りとか、男声合唱団のコンサートの中継ぎプログラムとかで良いからさ なーんて、ちょっと前向きに考えていた矢先に、先生から先手を打たれてしまった、そんな感じがした こういう時、私はやっぱり日本人なんだなって思ってしまうんだけど、 「先生」という立場の人に、「(今の状態は最適ではないから)こうこうした方が良いわよ」と言われると、まず真っ先に、受け入れなければいけないのではないかと思ってしまう。 それは、私のやりたいこととは方向性が違う、と思いつつも、「そうですよね」と物分かりの良いふりをしてしまう。 特に今回の指摘は、女声と言いつつも、ソプラノ1の私の声が力強いバスとテノールに対抗できないからっていうのがイヤというほど分かっているので、なおさら「ああ、私が不甲斐ないばっかりに」と、罪悪感を感じて落ち込んでしまう。 しかしたまたま数日前にその話もオットとしていて、お互いに、「コーラスは他で十分だから、1人1パートのアンサンブルが面白い」という点で一致していた。 さらに幸いなことに、今回はメールだったので、ゆっくりと考えながら返事を書くことができる。 そこで、 ・今は5人だけど、それでも全員が揃う練習日を決めることがものすごく大変、これが8人になったらどんなに大変なことかと心配、練習できる頻度が下がる、それに先生のレッスン室に8人入って歌うことはムリなんじゃ? ・私とオットはコーラスは他所でいくつも掛け持ちしているので、1人1パートのアンサンブルが面白いと思っている を書いた後で、 ・でも、男声が「普通に」歌うことができるように、女声を倍にした方が良いのではという意見も理解できる ・他の人もそれを望んでいるならば、私個人はそれでも良いが、他の人の意見も聞いてみたい と続けた。 その後にオットが続けて、 ・他の人の意向も聞きたいから、とりあえず次の練習日に呼ぶっていうのは止めておこう(一度来てもらうと、やっぱり断るってことができなくなるから) と付け足してくれた。 もうこれだけ書くのでも、小心者の私は、胸がバクバクしていた しかし、ここは、自分の意見はきちんと言えないと、意見の無い人として相手にされなくなってしまう。 いつも思うんだけど、ここでは、日本で私が知っているような「先生対生徒」という図式が成り立たない。 もちろん、音大の教授と教え子ならば、日本の師弟関係に近いものがあるだろう。 しかし、社会人の趣味のレッスンでは、教える側と教わる側が同じ目線で話をするし、先生の方では生徒をお客さんとして、見ていることが感じられる。 しかもこのアンサンブルに関しては、先生の中では、私が始めた私のアンサンブルと認識されているようで、いちいち私の意向を聞いてくれる。 それでも、アンサンブル自体には興味津々らしく、「次の練習はいつ?」「定期的に集まって一緒に歌わないと、アンサンブルなんて形にならないのよ」「コンサートしないの?」「別に気にしないで、私(先生)抜きで自分たちで集まっていいのよ」 と メールを送った後、「先生怒ったかな、、、」とドキドキしながら過ごしていたら月曜日に先生から返信があった。 短いメールで、「確かにあなた達の言う通りだわ」 そして火曜日のアンサンブル練習の日になった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
August 9, 2012 07:52:31 PM
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