カテゴリ:ひとりごと
父親が転勤族だったので、数年毎に引越していました。
中学生以降に住んだ場所はわりとはっきり覚えているし、 小学生以前に住んだ場所は断片的な印象しか残っていません。 その中間、小学校3年の3学期から中学校1年の1学期に住んだ松山時代は まるで昔観た映画のように思い出されます。 それは涙に始まり 涙に終わりました。 横浜から転校したので松山弁がわからず、学校がイヤで押入れで泣いたプロローグ。 甲府への転勤が決まり、フェリー乗り場に見送りに来てくれた友達との涙の別れのエンディング。 途中に挟まるエピソードの背景は、抜けるような南国の青空・台風・断水・梅雨時に出てくる異常なまでの数のカエル・・・・ 初めて乗ったリフト(松山城にて)、初めて1人で乗ったバス。 当時の写真を見ると、小学生の私は南の島の子供のように日焼けしてます。(今のシミの原因かも) ふと思い立って、Google地図を開いてみたら、懐かしの地名がありましたありました! 住んでたすぐそばに愛媛大学があったんだ・・・ 小学生当時、「大学」という存在がアタマに無かったので、記憶にも残ってない。 エレクトーンを習いに通ったナカマル?リキマル?ナントカマル先生のお宅は、たしか清水町だったか? 私のこういう過去の事たちは、母が亡くなった今では、ものすごく頑張って探らない限り、もう二度と蘇ってきません。 だから余計、昔観た映画のような、全体が長い長い夏休みのような印象なのかもしれないな・・・。 いつの日かもう一度、訪れてみたい地ですが、Google地図を大きくしてみると 「ファミリーマート」とか「セブンイレブン」とかがあって、私の夏休みの映画のような記憶とは 様変わりしていることでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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