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「生き残ったには理由があるんです」
私はこの言葉がずっと嫌いだった。 理由はこう。 生き残ったのに理由があるというのなら 裏返すと、死んだ人にも相応の理由があると言ってるようにも聞こえてしまうので 両刃の剣的な言葉だなぁと感じてしまうから。 生き残った理由ってのは、生き残った人が努力して 生きるために見つけるものだし最初からあるもんではない。 「生き残ったには理由があるんです」という言葉は 神が生き残らせた理由があるとかそういう特別な意味を感じされるような ところも嫌いな理由のひとつ。 私的には生き残った人も死んだ人も 生き残った理由や死んだ理由が特にあるわけではなくて それに意味を付けたい人がつけるだけ、冷静に考えるとそう思う。 「生き残った意味があるはず」と生きていくパワーにするのは 積極的で元気になれる絶望にいるときは一筋の未来への光のような言葉に 聞こえるとかもある意味は否定はしない。それは実際は 生き残った人に限らず生きていく意味を考えることなんだけど 生き残った人には「生きていく意味」より「生き残った意味」という言葉 が心に響くとかも実際あるのだろう。 昨晩の「今夜もさだまさし」で さださんの話してる「生き残った理由がある」は素直に聞けた。 こういう話を聞くときにひっかかりを感じるかどうかは 言葉の使い方とか小手先の問題などではなく、 言う人の深さや言い方次第なんだなと思った。 言われてこれで元気をもらう人が確かにいるのは確か。 相手がこの言葉を受け止められるならば それはそれで生き残った理由を探すためにでも とりあえずを生きていこうと思うことから何かが始まることもある。 「生き残ったには理由があるんです」 この言葉は言う人によって浅かったり表面的に聞こえたり難しい言葉。 浅い感じがしてしまうと 「死んだ人には死んだ理由があったとでもというのか」 とか思うこともある・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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