「自衛隊派遣決定 激変する我が国のスタンス」
我が国の安全保障は激変する国際社会と同様に日本のスタンスも激変しているように思われる。イラク戦争に関わらず近年、日米安全保障共同宣言、日米新ガイドライン、周辺事態法、テロ対策特措法、有事三法、イラク特措法と今までとは比較にならないほどのスピードで展開している。ここにきて極東の意味も実質的に変化し、特措法という形ではあるものの世界に対する日本のメッセージも質的に変化しているのである。また近年のアメリカの単独主義は、まさにラフィーバーのアメリカ外交の標準公式である「アメリカ例外主義+合衆国のパワー=有効な一国行動主義」の如くに今までの国連による平和への努力、国際法による平和への努力を無視した形で展開され、戦争のパラダイム自体も変化し、参加方法もコアリション・オブ・ザ・ウィリィングになってきている。 こういった時代背景のもとで、日本が冷静に国家百年の計を考えて、国益を極大化できる姿勢をとっていくにはどうすればよいのだろうか。近年多くある意見にアメリカ追従をやめろというのがあるが、日本の情報がほとんど全てアメリカによるものであるのに、例えば、アメリカがコアリション・オブ・ザ・ウィリィングを迫ったとしたらほとんど日本は意志を示さないわけにはいかないという現状がある。氾濫する情報を自国の国益と戦略に鑑みなくてはならないはずの外交の基本が蔑ろにされてしまっているのである。 この現状を打破するには、外交官中心の二国間外交や情報収集を強化せねばならないであろう。かつては広田や幣原のように外交官が活躍したが、今首相である小泉純一郎議員は他国で「首相に会わせなかったらODAやめるぞ」と言ったように、日本の経済力にあぐらを欠き信頼を失ってしまっている。信頼は、外交官の活動によって育まれるところも大きく、信頼ある外交をせねば国連内での発言も効果がなくなってしまう。人権委員会での北朝鮮の拉致非難決議でさえも、多額のODAを支援している国であっても非難側につかなかった国があるように、極めて損な外交をそういった努力不足で行っているのである。 今もう一度外交官の役割を見直すことで、地に足の付いた外交姿勢を模索せねばならないと考える。