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新年快楽
今年はどういう年にしたいか、なるのだろうではなく。まず、新しい詩集を出したい、それと今までのFARMの連詩をまとめたもの、この2冊が出せればいいし、出したい。欲張るなら、エッセイ集を一冊出してみたい。年間三冊などというのは大それた願いだろうが、かなうように努力してみたい。このblogに書いたものを編集しなおせばなんとかなるのではないか。 沖縄と アメリカを 再び三度訪ねてみたい。 「下流社会」という概念を 破壊するためには、どのような概念の 構築が求められているか、そういうことを考えてみたい。 「現場」から考えることの不可能性を 不可能性一般?から「現場」を考えることの余裕(苦し紛れでも)に変えたい 以上は、2006年になって2日目の朝に書いたのだが、そのままにしておいた。今日この後を書きついでいこう。 コイズミが彼の靖国参拝を国民が批判するのはおかしいし、まして中韓が批判するのはもっとおかしいなどと今日の会見で述べたらしい。ここまでくると、もうどうしようもない「無思想」状態だが、いつものこととしてうっちゃっておいていいのか?今日の朝日によれば、あの読売のナベツネと朝日の論説主幹のワカミヤが対談して、二人ともコイズミの靖国訪問を批判したと、鬼の首でもとったように書いてあった。とくにナベツネがというところが味噌である。要するにこういう感度だから東アジアの模索する共同体のリーダーなどにはなれないという論旨らしい。詳細は「論座」でという朝日の宣伝なのだが。 とにかくどこからでもいいから、コイズミの今の言いたい放題、やりたい放題を、すこしでも止める発言や批判する発言がもっと出て欲しいし、出るべきだと考える。そういう意味からいえばコイズミチルドレンなどという命名やそれに乗じて芸人みたいにはりきっている「政治家」などは、何を考えているのでしょうかね。「勝ち組」であることに満足しているだけではないか。いつでも大切なのは「負け組み」に決まっているし、その中からしか次代を見据える「理念」は生まれはしないのだ。だから「負け組み」でいい。深く負けることがいつの時代でも大切である。 なかなか昔みたいに、実はこのblogも簡単には書けないような状況になってきつつある。どういうことか?スタイルの変更が求められているという気が率直にするのだ。そういうことを考えたり、また酔ってしまって人を傷つけたりした(と思う)ことなどが重なると、もうこういう感じでは書けなくなっている。 きっぱりとやめればいいのだが、そこまでサッパリとした性格ではないので、こうして書いています。 今年はこのblogのスタイルを根本的に変えてみたい、その変更が自分自身の「入れ替わり」のようになる、そういうスタイルの変更を模索してみたい。できますかね? グダグダ書きましたが、書初めです。今年もよろしく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 4, 2006 08:50:12 PM
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