カテゴリ:作物
思うことが無いのではないけど、思いが強く出てこないから、思いにはならない。でも、書くことをやめては、思いの切れ端からもわすれられてしまう、そのような恐怖にもとらわれる。それで言葉はそのかすかな思いを追いかけてゆくのだが、ここで思いと言葉の両方ともそのゼロ度を彷徨している、それが今の状態である。接続不良のラジオのように、言葉と思いは切れたりつながったりを繰り返している。
書くことの経験のなかで、言葉は経験を再構成してゆくが、それだけですべてを演じることが可能なのではもちろんありえない。しかし、言葉の貧弱さをなじるのはいつも言葉ではなくて、経験のつぶやきである。「そうではない、その言葉では、あのときの歓びと怖れは把握不可能だ」。つぶやきを言葉で表現せざるをえないところに、すべての出発と帰還が潜んでいる。 2月も明日で終わりだ。終わりの感覚だけが強くなってくるのは年齢のせいだろうか? オースターの詩に曰く、 These are the words that do not survive the world. …… (これらは世界を 生きぬくことのできないことば) 消えてゆくこと。それが課題であるような2月自身の終わり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 27, 2006 09:31:18 PM
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