カテゴリ:作物
fall in love too easily
鏡の中の鏡 割れている 砂浜 産卵の夜を迎える海亀の無数の足跡 点描画家たちの色彩の…の混じりあいのように 分けがたい涙と泣き声が告知する明日の 波打ち際 破片を拾いあつめ 私はあまりに簡単に恋におちる 憎しみがしなびた筋肉に赤い血をめぐらすのと同じだ 一日「玉砕」を暮らす 埒もない想像に乗って 軍服姿で敬礼している私 捕虜として労働を強制されている私 父たちのかわりに「万歳」とささやく 大きな鏡は つねに/すでに死んでいる 五月、六月、しかし 神無月まで私は生きながらえるだろうか どんな出発とも関係のない日々を縫って 旅立っていることを知らない旅の なつかしさや なつかしい 待っていることを待てない待機とか 単に認知症の老人になることを跪いて祈るなど 単に微笑でいい 青白い月ではない 「私を興奮させ、スリルと歓びを与えてくれる」のは 貴重な「少し」、少しの「貴重」、そういう色彩の混じりあい 九月、十一月、 私はあまりに簡単に恋におちる 私のおかしなバレンタイン 表象をすりぬけ、哄笑に値する私のバレンタイン 「たとえ私が好きでなかったとしても…」 そのままいつもの 髪 いつもの かわいい私のバレンタインでいて! 四月のパリ 素数の文月、だれも繰り返せない、割れない 「私が駆けて行き、私の心というものがあれば その心に刻みこまれた」晴れや雨 暮春には春服既に成り、冠者五六人・童子六七人を得て 詠じて帰らん 孔子が賛同した生から見棄てられ しかし帰るだろう 暮春 いまだない、もはやないノスタルジアのにじむ道 光り輝く眼差しの童子たち六七人 遠くを見つめた青年たち五六人とすれちがう 「けだるい老衰 血のゆるやかな腐蝕 やがて肉体の破壊」のすべてが 聞き飽きたブラームスのクラリネット・クインテットのように鳴るまで 詠じて帰らん 「過酷な錯乱」 「今こそ俺は魂をつくろう」 読みさしていたイェイツを読む うすくかげり消えてゆくちぎれ雲よ 飛びつつ鳴く孤独の鳥よ 産卵の涙を流す海亀よ 割れている鏡 私はあまりに簡単に恋におちる 「五月から十二月まではとても長いけど 日々は次第に短くなる」 セプテンバー・ソングが歌うのは 季節ではない 神無月まで私は生きながらえるだろうか そのレクイエムのような、破片たちへの かわいい私のバレンタイン 上の詩ができた。ヒグマさんも、岡山の加藤健次さんも、この詩から、Chet Bakerを思い出していた。"I fall in love too easily"はChet Bakerの有名なアルバム"Chet Baker Sings"で彼が歌っているものだ。"My funny Valentine"はその冒頭にある歌である。ジャズ界のジェームス・ディーンと言われたBakerの人気はその当時トランペッターとしてマイルスをしのぐほどであったという。その上に、歌も一流なのだから、その凄さは並みのものではない。1989年5月13日に「アムステルダムのホテルの部屋から転落死するという事故か?自殺か?と取りざたされた謎の死を遂げたが、死後も次々にアルバムが発表され、衰えぬ人気を持ちつづけてきている」(岩浪洋三・CHET BAKER SINGS AND PLAYSのライナーノートより) みなみ野の蔦屋でCHET BAKERのCDを三枚借りてきた。うれしいことに半額ということで一週間で525円だった。 ぼくは、上記の詩をひたすらサラ・ヴォーンを聴きながら書いたのだが、これがBAKERだったらまた違うものになったかもしれない。もっと乾いたものになったかも。 今日聴いていて、詩と曲とも素敵だと思ったもの、 "Let's get lost" "Someone to watch over me" "You don't know what love is" "Look for the silver lining" "My buddy" "There will never be another you" でも、この詩はもう少し「直し」が必要だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 22, 2006 10:37:53 PM
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