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ハンナ・アーレントの「思索日記1 1950―1953」(法政大学出版局・青木隆嘉訳)とエドゥアール・グリッサン「全―世界論」(みすず・恒川邦夫訳)を衝動買いしてしまった。この二つをアマゾン・JPで頼んだら、3日もしないうちに届いてしまった。代金引換なのだが、今回は二つの本とも「高い」ので有名な出版社だし、事実高い、ちょっと苦しかったが、清水の舞台から飛び降りるというのは大げさだが購入してしまった。さて、いつ読めるのか。しかし、この二つを同時に買うというのも、相当混乱した頭であるな。
アーレントはずっと読み、また読み返してきた人、グリッサンは中村君の影響で知ったアンティル諸島のクレオールの「巨人」。彼は解説によるとニューヨーク市立大学で教えているらしいから(現在はどうかわからないが)、アーレントとも無縁ではないわけだ。ニューヨークにおける代表的な知識人、50年代の亡命ユダヤ人たちの一人としてのアーレント、それに対して90年代になって仏語圏のマルチニック諸島生まれの反抗的知識人としてニューヨークに出て、そこの大学で教えるということは、単純には対比できないけど、このクレオール文学の巨人とも呼べるグリッサンは彼の絶頂期を彼が批判し続けてきたグローバル化の拠点ニューヨークで迎えたということだろうか。グリッサンに関しては、はじめて読むのだから、読んでからということにしよう。 アーレントのこの本については、先日の日曜日に朝日の書評で柄谷行人が書いていた。アーレントの概念的で、しかし、この地上に即した思考が自由に展開する、ぼくはそういう印象をまず持った。少しずつ勉強していこう。 閑話休題、小沢と小泉がなかよく「討論」しているのをニュースで見た。どこに「政治」はあるのだろうか?社会的な話題による全メディアの制覇、そういう現象、状況になって5年?ぼくらは「政治」を思考することから遠くに追いやられてしまった。「教育基本法」を「政治」的に思考すること、これを変えさせないことを「政治」的にしっかりと表明できること、「政党」の根拠はそこにあるのではないのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 17, 2006 09:13:54 PM
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