カテゴリ:politics
散歩に出かけようとして、坂道を降りている途中で、「右翼」か「暴力団」の街宣車が流しているらしき軍歌が聞こえてきた。実に厭な気分になった。昨日は、山形のLawmakerの実家が全焼した。その中で放火して切腹をはかった男がいた、この男はたぶん、このLawmakerが小泉の靖国参拝を常々批判していたので、そのことに対する「諫死」を気取ったのかもしれないが、人の家を放火する必要はない。自分で遺書でも書いて勝手に死ねばいい。それにしても、普通のオバサンたちでも、近所付き合いに支障があるとわかる話題などは絶対に「井戸端会議」でも持ち出さない、それぐらいの知恵がなければ、付き合いというものは、積極的にこちらからというわけでもない付き合いでも、うまくいくはずがない。これは日常を生きる人々の大切な不文律である。もっとも最近は近所の迷惑かまわぬ「騒音」を立てて平然としているものや、「ごみ」屋敷なる批判をものともしないで異臭のもとになるものを集めてやっとタイホされたものなど、日常を静かに隣の迷惑にならないように過ごしてゆくという、江戸時代などにはあったであろう「日本人」の美徳も地に堕ちてしまったような話題がテレビなどで紹介されるにつけ、いくらなんでもこういう人は例外であろうと私は思っていた。
ところが、ここに一国の首相で、しかもその任期を9月には終える男がいて、「いつ行っても何か言われるなら、15日に訪問しようと思った」とか、隣の家の二人の主人が自分に会わないのは、この一つの訪問ゆえというのはちゃんちゃらおかしいなどと言い放ち、自分は何も悪いことはしていない、憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」のだから、自分はそこに行く、しかも最後の訪問はそれまでは隣家の主人などの思惑を慮って、15日というトラウマの日をはずしていたのに、今回はその日に、逆撫でするかのように駆けつけたという次第である。この首相が大事にする19条の次、20条の2には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」という明白きわまりない禁止事項があるにもかかわらず、靖国shrineという宗教団体に「総理大臣」として訪問するのだから、この一国の首相が、隣のオバサン以下の近所付き合い、いや「外交」の感度しかもっていないことは明らかであろう。 世をあげて、こういう首相を援護するような体制ができつつあるのではないか?大衆への迎合と大衆の憎悪の組織化、どこかで習ったような、見たような風景が、目の前にある。 今日は根室の漁船がロシアの領海を侵したということで拿捕され、前途有為な乗組員が射殺された。小泉「外交」はこれをどう処理し、どう着地させるのか?隣家の二人の主人の背後には、もっと偉そうな大主人が控えていて、こちらの旦那との懸案事項も一杯あったはずである。意地悪オバサン以下の意固地な靖国「訪問・遠足」にだけかまけている間に、こういう問題をまた引き起こしたのだ。この男の後、両方とも、その祖父たちの威光にすがるボンボンの孫たちのどちらかが、この国の政権を引き継いだにせよ、いつまでも主婦たちのもつ「外交感覚」に及びもつかないのは、人材の不足と嘆くしかない。 イスラエルとヒズボラが国連の停戦決議を受諾した後の14日の新聞の記事。イスラエルの著名作家で平和運動家でもあるデイビッド・グロスマンの息子ウリが「12日、戦車に乗っていたところをイスラム教シーア派武装組織ヒズボラの対戦車砲で攻撃され、死亡した。同日は戦闘後最多の計24人の兵士が犠牲になった」とある。わざわざ、「イスラム教シーア派武装組織ヒズボラ」と書かざるをえない、メディアの書き方には腹が立つが、それはさておいて、グロスマンのような公正なユダヤ知識人が、息子の「戦死」をどうとらえていくのか、無礼かもしれないが、私には関心がある。 小泉などのような単純な頭脳とは全くちがって、イスラエルという国とその民族の持つ幾重にも屈折したアイデンティティ希求への思いを、「死を生きながら」(みすず書房)で身を裂くように吐露しつつ、それでも暴力の報酬の彼方に、祈るように「ユダヤ人とパレスチナ人」と書くこの作家、「ユダヤ人対パレスチナ人ではない」、その「対」から「と」へいたる思考と実践のプロセスを、身をもって開示した、この作家への、神が与えた新たな「試練」というようなものが、息子の死であったかのかもしれない。イサクとアブラハム。 ―― 憎悪や復讐への渇望が、どれほど陶酔的な魅力を発揮するか。二つの民族のあいだにある文化と人間性のうわべの飾りがあっというまに取りはずされて、残忍さと野蛮が顕わになったようだった。たがいに相手を苦しめあう蛮行をみていると、この地域で生きたいという欲望だけでなく、そもそも生きつづけたいという欲望まで失ってしまう。 わたしたちの内部に掘られたこの落とし穴から抜け出せるかどうかは「選択の余地はない」「交渉相手がいない」といったことばに示される考え方に抵抗する能力をもてるかどうかにかかっている。この戦闘は、イスラエル人とパレスチナ人とのあいだでおこなわれているのではない。絶望に甘んじない人びとと、絶望を自分の生き方にしようとする人びとの間でおこなわれているのである。―― 2002年12月エルサレム、の日付のある『死を生きながら』(二木麻里訳)の序文より。 まさに、今でもまったく同様だ。このグロスマンの見解に何も加えることはない。ここから、小泉の幼稚さや「日本」という地域のそれなりの「特殊性」を指摘してみてもしようがないだろう。ただ、私はグロスマンの言う「絶望に甘んじない人びと」という言葉に目をとめたい。彼は息子の死を、この言葉によって乗り越えるにちがいない。できるなら私も、もちろん、この隊列の一員として戦いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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