(初折表)
発句 泥鰌汁ちゞにくだけて宵の身は 解酲子
脇 クーバの唄を聴き果てし夏 蕃
第三 見放くれば少年故郷遥かにて 解酲子
四 深く息衝く秋の夕暮 蕃
五 誰も彼も携帯かざす窓の月 蕃
六 しばし渡せるかささぎの橋 解
(初折裏)
一 教へ子に神話教はる文化祭 蕃
二 華甲こえれば炭焼となる 解
三 ひりひりと正午の時にうたれつつ 蕃
四 蒜の籬に鳶を見ゆらん 解
五 猫の居る介護の家の朝もよひ 蕃
六 洗ひ物して寝かすをのこ等 解
七 声低くアリアをさらふ深き霧 蕃
八 沖天に月ほのかに白し 解
九 無垢は何芒と話す川の道 蕃
十 よしあしもなきかかる時世に 解
十一 昼酒の店は寂しき花のころ 仝
十二 焼き海苔の次は蕎麦なるべし 蕃
(めも)
蕃さん。
あさり場です。十句の「よしあし」がススキに掛かる草の縁であること(言うほどのことじゃありませんが)に気づいてくだされば、連衆としては以て瞑すべき長短句の運びです。恋句についてですが、連歌以来いろいろ喧しいようですが、芭蕉翁が「一句で捨ててもよろしい」と、これをさっぱりと改革しました。一応、初折表六句では避けること、去り嫌いとしては三句去り、心得として一巻のうちで1か所はこれがないとその巻は「かたはもの」と見なされる伝統が背景にあることなど。恋の運びは本来何か所出てもよい。けれど芭蕉翁は恋の運びは場がねばり、重くれになると言って、できるだけ1か所程度にとどめました。現代の実情から言ってもこれは継承したい考えです。恋離れは、恋の呼び出しと同じく、付け句と合わせてみると恋句、独立しては恋の意を持たない句ということで、今の例で行くとほのかに白い月のイメージが、前句と合わせると女人のひそかな面影になり、それと離れると低いところでたちこめている夜霧のはるか上空にかがやく月そのものに見なされる、といった具合です。これでよろしいでしょうか。次は春句ということで、よろしく。
蕃さん。
言い忘れました。恋句は月花を含む春秋の句と同じく重んじられる運びで、3句以上5句まで、という約束があります。そこを1句にとどめる、というわけで。けれど1句ないし1か所にとどめること(継承したい考えと言いましたが)が式目ということではありません。1か所以上は絶対ダメというわけでもないのです。ここいらへんの融通というかいい加減さがニッポン文化のよいところです。(注・初ウ・十、十一のコメント、及び蕃の質問に対する教示)
解兄、
ありがとうございます。よくわかりました。ぼくの折端の句は兄の『飲食』を参考にしました。
湯殿川秋色