十月尽
博物館へ行く道で
京都からずっと一緒の車両に乗っていた
外国人夫婦に話しかけられた
「ええ、まっすぐです」
「どこから来ました?」
「フィンランドです、小さな国です」
「東大寺に行って、大仏を見てから、この展覧会には行きます」
「それではいい日であるように、もしかしたらまた会えるかもしれませんね」
人の波にもまれるようにして、天平の繊細で華麗な工芸品や華厳経の写しを見る
「緑瑠璃十二曲長杯(正字は土偏だが)」
ミドリルリノジュウニキョクチョウハイと口にすると
音楽が生まれる
サイカクノツカシロガネカズラガタノサヤシュギョクカザリノトウス
これはどうだ
天平の幻影が疲れ果てた私の耳や眼を覆いつくす、あるいは鋭くえぐる、あとかたなく
フィンランドの老夫婦と
ニホンの老夫婦との
再会はなかったが、
あってもおかしくはない
時の流れを遡りつくすと
果てのないアジアの砂漠や森の中で
私たちは同じ樹木 たとえば
梓で作られた夢のような弓、あるいは弓のような夢から
ここに こうして射られた矢の名残として
今を飛びつつあるのかもしれない
考えることは
正倉を持つほどの資力や権力とは関係もないことである
この緑瑠璃のさかづきに満たされたものは何か
十月の終わりの空の遠い青をつらぬく五重塔 (未完)