1
物語の始まりはそれぞれに
かがやく夢を抱いているだろう
雨上がりの朝に張り渡すクモの糸
ここからそこ そこからまたその先へ水滴の
透明な玉のひとつぶひとつぶを連ねて
すべてはそれら
鈴なりの小太陽から始まってゆくのだとすれば (豊美)
2
誰かが
Look for the silver liningと歌っている
悲しみと敵対の雲に覆われた世界でも
どこかで太陽は輝いていると
分離壁のそれぞれの内側で
誰かが歌っている
苦さをかみしめて 雨にうたれながら (英己)
3
どんなことにも よい半面があってくれなければ
と歌の願いに染まって 夢からさめ
まだ明けきらない 弱い光に
不随意の装置が動きだすのを 私は感じとった
まだ語られていない物語の
小さな窓がひらく
遠いとも近いともいえない そこに
姿は見えないが
人がいて その心臓がしずかに打っている (健二)
4
光の少ない日には
身近な発見を数えよう
窓辺の鉢植えのサボテンについた花芽
幼な児の口元に出現した真っ白い乳歯
こんにちわ
カタコトがこぼれる
水道の蛇口が開かれる
匙が、コップが、皿が、薬缶が、テーブルが
身の回りのあらゆる些事がうたいだす
懐かしいあの小声の唄 (豊美)
5
暮れてもまだ光の残っている秋の空
「汝は一つの死体をかかえている小さな魂にすぎない」
マルクス・アウレリウスの言葉をかみしめながら地上を歩く
水は増水の汚れをすっかり払い落とし、澄んだ川として流れる
樹木は緑の剣先を凋落の予感ゆえに懸命にのばし
黄色の蝶がコスモスの花の上を
夏の愛を想起するかのように踊っている
この足の一歩が
小さな魂の足跡である
笑う仮面や、泣く仮面
「さんたんたる配慮」と文三は言うが
この心臓の音の途切れるまで、あそこの緑のその向こうまで
澄明な秋を歩いてゆこう (英己)
6
ぎしぎしと鳴る床を歩いて
存在を証明した
飛べない魂
その夏の事情は キッチンの籠の
十数本の茄子となって艶やかに休み
「トルコでは、茄子の調理法を
五十くらいおぼえておかないとお嫁にいかれないよ」
庭仕事に戻る私は
本で読んだそんなセリフを思い出して
自分の死体からにじむものを薄くした
元気を出した ということだが
もう秋のゆうぐれだ
切り落とした枝と葉を大袋に入れ
光を 心の小屋の
闇のなかにしまって
茄子と酒をもって人に会いに行く (健二)
7
飛べない魂を
飛ぶ椅子に乗せて
青空と雲のあわいをゆく
鳥海山の麓 酒田では
鮭たちが伏流水の川を遡り
澄んだ川底の石に身をふるわせて
透きとおった生命を産みつけていた
春になれば何百万匹の稚魚たちが
ここから海へ旅立ってゆくだろう
河口のこの街を歩いて
生きているいのちのほかに発見したものは
おいしい水と
おいしい魚と
シベリアから渡って来た白鳥の群れ
子どもらの口からほとばしる
清らかな最上川舟歌 (豊美)
8
十月も終わりの日
博物館への白い道を歩いている
崩れ落ちた築地の幻影を思い浮かべながら
58回目の正倉院展
丈高い弓の前で立ち止まる
時の流れを遡ると
果てのないアジアの森で
たとえば梓の木で作られた
弓のような夢、夢のような弓から
射られた矢として、ここまで飛んできているのかもしれない
この肉とこの生きている命はおいしい
緑瑠璃の十二曲の入り江を持つ杯に
なみなみとたたえられた春日の酒のように (英己)
9
遠い夢の弓から
飛ばされ 落下して 転がって
ここまできた
そうだったのだ
どうしても暖まらない地面をもつ
この森 この夜
いろんな戦争をなかったことにして
影は笑おうとするが
いのちをいれる器の
割れる音がする長い夜だ
生きていたい
私は起きあがって
コップの水を飲む
私は人を思う
その人のねがいをつつむ光を思う (健二)
(めも)
この7~9のシリーズにある「光」は切ない。ここまで我々は生きてきたのだ、という思い。