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--安倍政権が最重要法案と位置づける教育基本法改正案は15日夕、衆院同法特別委員会で野党欠席のまま原案通り可決した。与党は週内に本会議でも可決し、参院に送付する構えだ。12月15日の会期末まで1カ月を切ることから、与党は会期延長も視野に入れ、成立をはかる方針。成立すれば1947年の施行以来、初の改正となる。--
新聞は以上のように伝えている。ついに憲法「改正」に至るステージの第一段階が始まったのである。これに対して野党は徹底抗戦を開始するという。その初めが「欠席」ということである。どうして野党は、現場の教員や「生徒」たちに呼びかけないのだろうか?今、大変なことが起っているから「学校」などにこもらず、いじめている子も、いじめられている子も街頭に出て、みんなで反対運動を繰り広げよう、と。与党はアリバイつくりのタウンミーティングなるものを開き、そこに「さくら」を動員して、「改正」の気運をもりあげる、そのさい、5千円で「さくら」を買収する。しかし、こういう政府の運動に対して、どのような反対運動が最大野党の民主によってなされたというのだろうか?むしろ民主は実はこの「改正」という点においては与党と全く同じか、それ以上の熱心さで推進してきたのではないか。考えてみれば、いや考えるまでもなく、都においては、陰湿な現場いじめにはじまり、卒業式における「不起立」教員の処分などを、教育委員会を脅迫しながら実行させたのは民主党の議員だった。埼玉の戸田でも、教育長を恫喝して、「不起立」の来賓や保護者まで調査しろと迫ったのは民主党の議員にほかならない。どこに違いがある? やみくもに「政権」を奪うことのみにかまけて、自党の「定見」の無さを露呈するようなやりかたでは政権与党のチンピラたちに揶揄されて終わるのが関の山である。 不愉快な日々が続く。こんなクニ(政治屋が蹂躙し、言及するかぎりのクニ)など美しくもないし、愛するなどという感情が湧くはずも無い。土台、「愛」などという言葉を政治屋が使うことが噴飯ものなのだ。彼らの命題は常に、汝は敵である、敵を葬れ、ということであったし、今でもそうだ。そのために、無数の人が死んだではないか。プライヴェートな「愛」という感情を、彼らの宣伝のために奪われてはならない。本当に愛するもののために、静かに、残しておく、あるいは燃やし続けるのが「愛」であって、クニを「愛する」などという政治屋の利害に利用されては、「愛」が泣く。前者はシンドイ日々の生の上にあり、後者は愚劣な政治家たちの多数による安易な制圧の上にある。
-- 普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない--と教育基本法の前文にある。こういう理想を追いかけてきた時代は時代遅れになったのであろうか。私はそうは思わない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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