カテゴリ:essay
時々俺には子供がいたのかと疑うほど、自分の子供たちとの接触が少ない。(でも、それはこの年齢になったからありうることで、それはいいことだとも私は考えている。やっと、ここまできたのだ。)長女はアメリカにいる、その弟は日本にいて、一緒に住んでいるのだが、お互いの時間帯がすれちがっていて、なかなか顔を見ることさえできない。今晩は久しぶりに、私が起きているとき、息子が帰ってきたので、珍しい動物を見るかのごとく、肩や尻を手で打ったりした。触ってみたかったわけだ。相手もすべて分かったかのごとく平然としている。
私の商売は高校の平教員なのだが、子どもたちの親がときどき、子どもや学校のことを心配して電話をかけてくる。私の答えは決まっている。「大丈夫です、お気を楽にしてください、そんなこと大したことじゃありません」というものだ。相手は拍子抜けしてしまう。前までは大概そうだったが、最近は緻密な尋問のようなものや、批判に似たものも多い。しかし、私はあまり気にしない。「親がなくとも子は育つ」のだ、まして学校などでできることはたかが知れている。 ほっとけばどうにかなるのだ。どうにもならないときなんてそんなにない。こんな教員は失格だろうが、それでかまわない。「教育」好きの人たちの「理論」ですべてが上手くいくなんてことはあるはずがない。また上手くいけば、それでいい。しかし、「子ども」が成長するからこそ上手くいくのであって、「理論」が子どもたちを成長させるというわけではないだろう。 「待つこと」、すべてを開いて「待つこと」、これしかない。最近、自分の商売でよく思うのはこのことだ。3年間で彼ら、彼女らはいやおうなく「成長」する。そう確信するようになりました。3年間は短い?それだったら、長く退屈な「人生」があなたたちを待ち構えています。そこでどうしようもなく成長しなさい。 傲慢な言い草に聞こえるかもしれないが、私はもうこれ以上成長したくないと思っているのに、子どもたちとの付き合いのなかで、日々「成長」しているような気持になることがある。もちろん、稀にだが。でも、こういうときは「教育再生会議」などから味噌糞に言われている、この商売もそんなに悪くはないな、などとしみじみと思うのである。 でも、「教育再生」などとよく名づけたものだ。そんなに「教育」はどん底なのか?一人一人の平教員が一人、一人の生徒たちと向き合っている、生徒たちの「成長」を気長に待っている。そんな道へ、なにも分からない、なにも見えない「戦車」が突然入り込んでくるというイメージを、私は持っている。そして、それはいつも「政治」に利用されるためにある。だから「教育」という名のつく「会議」ほどおぞましいものはない。 いつでも「新たに生まれてくる」ものたちへ、私は私の道を譲りたい。もちろん、その道は「戦車」が轟音と砲弾で「均した」道ではない。イバラの道、不完全なでこぼこした道、それをそのまま私は譲りたい。 そういう眼で子どもたちをながめると、感傷かもしれないが、私は彼らの一人一人を抱きしめたくなる。 どうでもいいことだが、こういうことを書くのは、私も焼きがまわったということであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 5, 2007 10:40:58 PM
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