カテゴリ:作物
The Impossibility of February
The heart breaks. Someone does or does not go mad. It is February. And all is forgiven, I think. by Maria Kalman マリアはそのイラストに添えて書く 2月だもの、心がこわれる だれかがおかしくなったり、ならなかったりする でもすべては許される、そう思います、と どのようにしておかしくなるのか? どのようにしておかしくならないのか? 夢を見ていた 追われる夢ばかりで追う夢は見たことがない 追われる理由を忘れたいと思うから追われるのだろう 私を追う人たちはおかしくなった人たちなのだろうか? あるいは債権者たちのように忘れないことを商売としている人たちか? 私の正面には先ほどまで妻が座っていた 私は彼女が作ってくれた夕食を食べた 真ん中には女房の96になる父がソファーに腰掛けて ときどき眠りそうになりながら必死に食べていた 父の隣にはこれも年老いた猫がいて父のおこぼれを狙っていた テレビでは政治家たちが 原発で出た核のゴミをどこに捨てるかについてやりあっていた 地方の再生のためにゴミを引き受けるという筋道を描いていた みんなおかしい連中だ、と思う 第二の夕張にならないためになどと平気で言うのだから、と私はとくに思う とくに自分がおかしいことをしらない司会者の傲慢な顔やとくに… マリアのいうように、すべては許されるのだろうか? 汚染された土地、汚染された思い出を生きる みじめな夢 食卓を囲む無数の家族が なにかで追われている 追うのは追う理由を忘れてしまったおかしな連中だ 本当はかれらも追われているのにちがいない だったら、どうしてきちんと狂わないのですか? 私たちのように 2月だもの 心の平安など、だれが持ちうるのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 3, 2007 10:18:43 PM
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