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詩人たちの島

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March 5, 2007
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カテゴリ:politics
there is no evidence to prove there was coercionというのが最近のabeの決まり文句になっている。これは実に便利な言葉である。たとえば、高裁は「不起立」問題に関して、明確な「強制」で、憲法に違反するという判断を示した。これに対して都は「控訴」中だから、従来となんら変化はないとして、式典でピアノ伴奏を拒否した音楽教師を処分した。そのまえに最高裁がこれに類似した判断を下したのに力を得たのだろう。この国の司法はこの種の判断に関しては、いつも反動的であるが、ここにあるのはどういう思想なのだろうか?

私は思うのだが、「強制coercion」というのは、権力者と従属者、支配者と被支配者との関係のなかで、つねに非対称的な意味を、そのプロセス、事後を含めて構成する「概念」であって、それ以上のものではない。つまり、権力をにぎっているものは常に「強制ではない」と言う力を有しているということにすぎない。性的な奴隷として韓国や中国の女性たちを徴発しながら、いやabeの言うように「官憲がその女性たちの家に行って拉致したという証拠はない」!かもしれないが、その圧倒的な威圧のまえに、存在自体がすでにまるごと強制されていたというのが事実であって、そういう支配そのものが大きな問題なのであって、そのことに目を閉じて、しぶしぶ河野談話を踏襲するという姿勢を見せながら、いや、いや、「謝りませんよ、ぼくは」と固執するのはとても見苦しい。abeが一番嫌いらしい、どこかの独裁者とまったく同じような態度である。「強制ではない、かれらがすすんでやってきたのだ」ということになるのではないか。

「強制」をこととするのが悪名高い都であるが、ここの首長も賞味期限をとっくに過ぎているのに、またやるつもりらしい。もちろん自己「強制」的にだが、こういうときは「余人をもってかえがたい」己自身をだれかが推薦したから、あるいは時の流れが、とでも言うつもりだろう。

「強制」という事実があって、それに泣くのは被支配者であって、それを隠蔽して「強制はなかった」というのが支配者である。こういう一方的な関係はいつまで続くのだろうか?たぶん、権力や支配が己の「慰安所」を持ちこたえることができなくなるまで。






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Last updated  March 5, 2007 10:22:43 PM
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