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沖縄タイムスは今日の朝刊で、沖縄戦での「集団自決」に関して日本軍の「強制」に関する今までの日本史教科書での記述を文部科学省の検定により修正させられた問題に関して、社説で次のように述べている。
―― 社説(2007年4月1日朝刊)http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070401.html#no_1 [「集団自決」検定] 歴史の事実を踏まえよ 日本軍関与の有無めぐり論争 文部科学省は、二〇〇八年度から使用される高校教科書(主に二、三年生用)の検定結果を公表した。 そのうち、日本史A、Bでは第二次世界大戦中の沖縄戦で、日本軍が住民の「集団自決」を強制したとの記述七カ所(五社七冊)に修正を求める検定意見が初めて付いた。 太平洋戦争末期に米軍が上陸した沖縄の島々で、捕虜になることを恐れた住民同士が無残に殺しあった「集団自決」については日本軍の関与の有無が長年の論争の的である。 国は一九八〇年代に「日本軍による住民殺害」の記述に「集団自決」を書き加えさせたが、昨年の検定までは、軍の強制を明記した教科書すべてが合格していた。 しかし、今回から「日本軍は(中略)くばった手りゅう弾で集団自害と殺し合いをさせ…」と記述した教科書には「日本軍のくばった手りゅう弾で集団自害と殺し合いが起こった」と修正させている。 「日本軍に『集団自決』を強いられたり…」との記述は、「追いつめられて『集団自決』した人や…」に。「日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で『自決』を強いられたものもあった」との記述は、「集団自決に追い込まれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった」に、それぞれ変更された。 また、「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」との記述は、「日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた」と書き直された。 さらに、「なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」との記述を「なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」に修正されるなど、集団自決については日本軍の強制という意味合いを消し去る表現に変わっている。 これでは、政府による集団自決への「日本軍の関与」隠しと言われても当然だろう。日本軍による加害性を教科書から排除しようとの意図が透けて見えるからだ。 「強制ない」と言えるのか 検定意見を付けた理由として文科省は「強いられて、という表現は沖縄戦の実態について誤解する恐れがある。高校生には命令があったように誤解される」と指摘している。 さらに「軍の強制は現代史の通説になっているが、当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある上、指揮官の直接命令は確認されていないとの学説も多く、断定的な表現を避けるようにした」と説明した。 確かに、日本軍の命令があったかどうかについては、大阪地裁で係争中の訴訟で元戦隊長から軍命を否定する意見陳述がなされている。 しかし、軍命の証拠がないからといって「強制はなかった」と言い切れるかどうか。 同訴訟は、集団自決の事実認定と証人尋問がこれからという段階であり、判決はまだ先である。 国自身が当事者ではなく、判決も出ていない訴訟での(元戦隊長の)証言という不確定要素に加え、原告、被告双方の意見ではなく、原告だけの主張を取り入れ、検定意見に反映させたのはバランスを欠くと言わざるを得ない。 一方で、慶良間諸島では「集団自決」現場を目撃した住民の証言もあり、米国の公文書には米軍上陸後、日本兵から自決するよう指導されていたとの住民からの聞き取り調査報告もある。 政治的思惑は除くべきだ 日本軍が住民に「米軍に捕まるな」と厳命し、「いざという時は自決するように」と手りゅう弾を配ったことは多くの住民の証言がある。 集団自決の記述から「日本軍」という主語がぼかされては、執筆者の意図も玉虫色にぼかされかねない。 大事なことは、政治的な思惑ではなく「子どもたちに何を教えるのか」という教科書の原点をおろそかにしてはならないことだろう。 「強いられて」という表現が誤解を招く恐れがあり、軍命の有無をめぐり、どちらが真実なのかはっきりしないのなら、いろいろな意見、多様な見方があることを教科書にもストレートに反映させればいいのではないか。 「どちらが真実なのか」。子どもたちに関心を持たせ、調べる意欲をわかせるのも教育である。 さらに言えば、「歴史の事実」をしっかりと踏まえた教育を行うことだ。国の一つの考え方を押し付けるようなことがあってはならない。―― この社説の述べるとおりだと私は考える。地元紙としては、むしろ穏やかにすぎるほど抑制された意見である。 関係のない話かもしれないが、アメリカの20年代の”red scare”(赤の恐怖)の時代にイタリア移民のアナーキスト、SaccoとVanzettiの二人が当時の歪みきった司法により、でっちあげられた強盗と殺人の有罪を宣告されて電気椅子で処刑された有名な事件から今年は80年目を迎える。この二人の事件は様々な反響を呼び起こし、アメリカのみならず世界中の人々の記憶からなかなか忘れられないものになっている。今年もこの二人のドキュメンタリー映画がアメリカでは公開されている。当時の生き残りの人々、映像などに今生きているアメリカの歴史家たちの証言で織り成されたものである。私は見てはいないが、ネットで、このドキュメンタリーを製作した人々のホームページを覗いただけだが、そこにあるのは、この事件がimmigrationやethnicityなどの現在の問題と深々とリンクしていることを忘れてはならないという真摯で大きな歴史意識である。そう私は思う。 自国の軍隊が自国の住民におかした自決の「強制」というのは目を背けたくなるような事実かもしれない。しかし、まだ、その事実は80年も経過してはいない。まして、その生き残りの人々、あるいは強制的な「皇民」化の教育を受け、あるいは同じことだが生きて虜囚の恥を負うなかれなどというウルトラ軍国主義の刷り込みにより、自らが家族に手をかけて、生き残った半生をそれこそ地獄のような苦しみにさらしている人もいる。そのような明白な「証拠」がありながら、それをその人たちだけの個人的な「苦しみ」に帰し、加害者である「日本軍」つまり「国家」だけを救助しようというのは、地球上どこを探してもそんなクニはないはずだ。 「歴史」を大切にするというのは、人々の歴史意識や歴史観をイデオロギー的に「自虐」史観などと決め付けることではない。その人々が「クニ」の方針や考えに合わないからといって、いやその時代の支配的な勢力の考えに合致しないからといって、排除することではないはずだ。 沖縄の南部戦跡をめぐるとき、沖縄戦の「歴史」がいやでも赤裸々によみがえってくる。ひめゆり部隊が壊滅した米須海岸はサーファーたちで賑わっているが、きみが上半身裸で歩いているそこにきみたちよりも若い人たちがうめきながら死んでいったのだよと誰かが言わなくてはならない。それを彼らがどう考えるか。そのようなドキュメンタリーをそれぞれが作らなければならない。歴史を大切にするとは、なにも特別なことではない。歴史を、その事実を語る人たちが、まだ沖縄には一杯いるのだから、そこに行き、その話にじっくりと耳を傾けさえすればいいのだ。しかし、そのような子どもたちの旅行の機会でさえも、歴史を決して大切にしない大人のお偉方たちは奪おうとしているのが現状である。 修学旅行で沖縄を目的地にするのを拒否している、そういう流れがある。彼らは「沖縄」戦そのものを歴史から消したいのだ。なんという醜い国だろう。 反省するということ。今帰仁グスクの頂にたったとき、「歴史」からの呼び声が聞こえた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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