カテゴリ:politics
―プレカリアート(英precariat、仏précariat、伊precariato)とは、「不安定な」(英precarious、伊precario)という形容詞に由来する語句で、新自由主義経済下の不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者の総称(国籍・年齢・婚姻関係に制限されることなくパートタイマー、アルバイト、フリーター、人材派遣・業務請負労働者、契約社員、委託労働者、移住労働者、失業者等を包括するカテゴリー)。また、貧困を強いられる零細自営業者・農業従事者等を含めることも。ただし、互いの生を貶めあう際限なき生き残り競争へ駆り立てる新自由主義経済下、自らの不安定な「生」を強いられながらも、その競争への参加を「放棄」する人々は、上記のカテゴリーにとらわれることなく包摂されうる。プロレタリアートと語呂を合わせることで、新自由主義における新貧困層の現実との向き合い方を示している。イタリアでの落書きから始まった言葉と言われる。―
ウィキペディアから。 雨宮処凛という人の『生きさせろ』(太田出版)に載っていた言葉、その前から新聞などでも散見していた言葉で、気になっていた。雨宮さんの上記の本には、フリーターの悲惨といってすまされない過酷な労働状況がルポされている。派遣や請負の若年労働者(若年でもなくなってきつつあるのが正確だが)たちが追い込まれている状況は端的にいって憲法25条で規定された生存権すら侵害しているのが事実であることが分かる。もちろんこの25条は小泉「改革」以来、反故同然の条文に骨抜きにされてきたのであるが。 同書によると95年に日経連がまとめた「新時代の『日本的経営』」の提言通りに事は運ばれたのである。それによると、「不況に直面し、以下のように働く人を3つに分けること」を日経連は政府に提言した。 1長期蓄積能力活用型(これは今までの正社員) 2高度専門能力活用型(これは専門的な技能を持つ契約社員) 3雇用柔軟型(これは使い捨て労働力) この3が、フリーターなどを含め、ワーキング・プアなどと呼ばれる階層を作るもとになっているものだ。あくまでもグローバル化における経済界からの要請と政治権力の思惑が一体となって形成したものであって、その帰結としての悲惨な状況を、3の人々の「自己責任」の問題にすりかえようとしてきたのが今までの政治であり、それを鵜呑みにした世論であった。こういう経済・政治のやりかたにNONを突きつけ、自分たちの生存権を奪回しようとする運動が始まっている。そのときに掲げられることばが「プレカリアート」なのだ。万国のプロレタリアート団結せよ!のかわりに、万国のプレカリアートよ立ち上がれ!ということである。 これも雨宮さんの本からの孫引きだが、平井玄という人は『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』という本で痛烈な批判を、この日経連に対して浴びせている。 ―畜舎の求める犬種は、営業犬や事務犬、警備用の猛犬から介護犬、オペレイター犬や単純作業犬まで様々で、柵を出たり入ったりする雑種の野良犬、捨て犬などかき集め方も色々、まずいので食用には向かず寿命も短いが、なにしろ数が多いので補充はいくらでもきく。したがってエサはすぐに死なない程度でいい。― 3の「雇用柔軟型」はここでは「生死柔軟型」といわれている。これをつくった日経連の今は会長をしているMなる人物のC社の派遣労働者の最悪な環境が、その派遣会社自体の労基法を完璧に無視した使い方と公然と密通している状況が克明にルポされているのを読むと、怒りに胸がふるえてくる、いやそれを通り越してあきれてモノが言えなくなる。 フリーターやニートと呼ばれる若者を、自らの都合のいいような「言説」のために利用するのは経済政治界ばかりではなく、「左翼」の言説もそうであるというようなことが「論座」でも紹介されていた。政治的にアパシーである、ゲーム的な空間に閉じこもっている、ネット右翼化している、などなど。若者がそうであるから、政治は変わらないという言説、しかしこれは眉唾ものだという反論がなされている。 こういったフリーターたちの実情をしっかりと見つめて、そこから発信するという作業が丁寧に行われ始めたのだろう。 グローバル経済帝国に立ち向かうプレカリアートたちのネットワーク、これはネグリとハートの『マルチチュード』の提起した実践的な課題でもあった。みつめていこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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