カテゴリ:politics
先週あたりから、急に元気がなくなってしまった。やることはありそうなのに気力がない。いつも元気というのもおかしいので、これはこれでいいのだろう。
元気なのは自公の連立だけのような感じだ。企業も軒並み最高の利益をあげているらしいが、一向にわれわれには回ってこない。税金は「減税」も打ち切られて、アップした。税金を払うために働いているようだ。こういう状況に追い討ちをかけるように、国民投票法案が可決された。憲法調査会の設置も目前である。有効投票の過半数で「改正」という、まさに「憲法違反」の歯車が大手をふって回り始めたのである。しかし、「新憲法」という錦の御旗が彼らの敗北の始まりにならないとは限らない。 オーウェルはその「1984年」で、オールドスピークという従来の言語体系にかわるニュースピークを独裁権力政党「イングソック」が国民の支配のために考案するということを書いた。その目的は「イングソック」以外の思考方法を不可能にすることにある。イングソックの「諸原則から逸脱する思想は言語活動として成立させない」ということであった。 ちょっとニュースピークの体系はいかなるものかを覗いてみよう。まず思想(thought)というような言語を廃して、そのかわりにthinkで置き換えることにする。これは単純に考えるだけであって、走ったり、打ったり、犬とか猫というような語となんら変わりはない。thinkから派生するすべての感情や行動を、こうして極端にまで単純化し切り詰めるわけである。freeというオールドスピークの語は残されているが、これも「蚤からフリーである」とか「この畑は雑草からフリーである」というような使用法しか許されないし、だから政治的に自由とか、自由で幸福などというオールドスピークにあった意味用法は厳密に排除されているので、早晩2050年までには滅亡するであろう。2050年をイングソック党はニュースピーク言語の完成年としているからだ。 面白いのは、単語数を削減することで、unという接頭語を付け加えればすべてを否定語にできることである、またplusを付加すれば強調語ができる、もっと強くしたければdoubleplusにすればいいわけだ。たとえば安倍首相の新憲法への情熱はなみなみならぬものだ、というようなときは、Big Abe’s passion for new constitution was doubleplusとなる。しかし、これは正確な翻訳とはいいがたい。なぜなら私はまだニュースピークに習熟していないのであり、その途上にいるわけだから。 非常に言語を簡便化することで、複雑な思考とか、細やかな配慮とか、他者への想像力を根底から奪い、唯一イングソック党への忠誠だけを可能にするというのが、要するにニュースピークの根本にある考えだ。これに慣れている若者も結構多い。彼らはオールドスピークの持って回った曖昧さが我慢ならなかったし、unoldである力強さがイングソックの政策にはあったからである。 従って、この言語の体系からみると、次のようなオールドスピークで書かれたオールドコンスティチューションの有名なアーティクル9は理解不能のものとなる。 「1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際平和を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。交戦権は、これを認めない。」 ここにあるオールドスピークの語彙で、ニュースピークとして生き残れるものはおそらくないだろう。しかし、「正義と秩序」などは厳格このうえもない用法のみ許可され、その場合は大衆の熱狂的な称賛をあびることになる。つまり、それ以外の場合は、ということはイングソック党公認以外の用法は、ただ単に「犯罪思想クライムシンク」というニュースピークの包括する意味に該当し、厳しい弾圧を覚悟しなければならないことになる。もちろん「国際平和」などはシンクの範疇を逸脱しているから、この言語自体が成立しないわけである。 そもそもニュースピークには「日本国民は」という主語、総じて主語はありえない。「日本国民は…認めない」という構文は大きな問題になった。ニュースピークの作成者、イングソック党の御用言語学者たちは、すべての文の「主語」を消去するということを大きな課題として奮闘したのである。従って、構文自体はダブルプラスオールドのものになったが、もともとの日本語、とくに源氏物語などの構文を愛好する御用学者たちは喝采をしたものである。日本語によるニュースピークでオールドコンスティチューションの有名なアーティクル9を翻訳してみようか。以下のごとくである。 いづれの御ときにも、あまたのもめごとさぶらひけるなかで、いとやんごとなき藪にみこまれて、まばゆきいくさにたちあがりたまふかたありけり。 これだけの短い文になってしまうのだが、何が何かさっぱりわからないところがポイントである、というのはオールドスピークに心を残しているものの、いわば ひかれものの小唄というものであり、イングソックの優秀な党員であれば、この文がアーティクル9の完全なる「改正」であり、集団的自衛権の完全なる自己主張であるということを瞬時に読み解くことができるのである。 ニュースピークとニューコンスティチューションへの野望をいかにして打破できるか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 15, 2007 10:14:25 PM
コメント(0) | コメントを書く
[politics] カテゴリの最新記事
|
|