ジジェクは次のように書いていた。(興味のあるひとは日記一覧からnoble lieを参照してください)
三つの特徴をかれは持っている。誠実であり、頭がよくて、体制を支持している。この三つのなかの二つの組み合わせだけは可能である。もしきみが誠実で、その体制に協力的であるなら、きみは決して頭がいいということにはならない。もし、きみが頭脳明晰で体制派ということなら、きみは誠実ではない。そして、きみが誠実で明晰であったなら、きみは体制をサポートするなんてことはしない。
この定義のどれにもあてはまりそうもない面々がいる。いや正確には当てはまりすぎて馬鹿馬鹿しくなるといってもいい。それは首相の諮問機関で、「集団的自衛権」について、あれこれ考えているというより、それを認めようとする連中である。「頭」はいいのかもしれない、でも誠実には見えない、まあ体制を支持していることだけは確かである。これはジジエクの言うとおり。しかし、はっきり言って、頭も悪い、誠実でもない、体制を支持しているかどうかは関係がない、単なるオポチュニストである。つまり「集団的自衛権」を憲法で認めようということだけで集った、あるいは集められた「有識者」たちの「懇談会」である。たんにおそろしく不条理な連中である。単純な追認があるだけで、理性がないことを不条理という。これが「有識者」たちの正体である。年寄りが多いせいか。
実に不愉快な日々、天候と仕事の蒸し暑い相関のなかで、6月も終わる。でも、わが家の半夏生の葉群が白く色づきはじめた。夏至の日から正確に色づく日を数え狙っているのだ。自然の<理性>はたがうことを知らない。
非理に濡れ 湿ったシャツの 半夏生