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拓へ
1年と2ヶ月ぶりに会ったのだけど、君はずいぶんたくましくなったね。バーミンガムでの1年の体験がすごくきみを成長させたのだと思う。でも、君の根底にある、恥じらい、正義感、ねばりつよく奮闘するこころ、そういうものは、高校時代とまったく同じだった。 二人で話していて、いろんな名前がでたけど、その一つ一つに対して、今のきみの批評と見解を聴くことができた。社会学という学問を選び、そのなかで君が成長してゆく、そのプロセスを昔の高校時代の担任は、ともにたどることで自分もなぜか成長したような豊かな気分になる。 君のフィールドは、しかし実に困難なものだ。パレスチナ、トルコ、英国におけるエスニシティ、ティモール、など。社会学が目指すものは「よき社会」のための、ありうべき理論とその具体化であると、乱暴にも思うのだが、君があえて選び、実際にそこに行き、そこで生きている人々と交歓する、そういう体験から生まれる「理論」、それは大きくなくていい、小さいけど、生きていてよかったと、そこの人々が思うような「理論」を、いつの日か、君が創出することを、ぼくは期待している。 ガヤトリ・スピヴァックのことを話してくれたね。「サバルタンは語れるか」。これは非常に難しい問題だけど、社会学の歴史そのものに突きつけられた刃、言い換えればアカデミズムの「語り」からつねにすでに逃れてゆく「他者」、それをいかに感知できるかどうかということではないのか。果てしなく自己言及に陥ってゆく「学」の語りの外部に「サバルタン」がいる。それでは社会学とは何か。いや、それだからこそ常に新しい「学」の創出が目指されてもいるのだろう。これは帰ってから思ったこと。言い尽くせないが、私自身のためのメモとして書いておく。 いろんなことを考えさせられた。短い時間だったが、「三ヶ月ぐらい、命が延びた」というのは正直な感想です。 また、会おう、そして、この老耄のもと担任にいろいろ教えてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 2, 2007 03:02:29 PM
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