カテゴリ:作物
「元気のない詩を書く」
きみは知っているね 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」 ヨハネによる福音書第12章24節にある、イエスの言葉だよね ここには最後まで喩に固執することで なにかいつも別なことを考えている人物がいる どうして、俺は死ぬよ、さよなら、と彼は言わないのだろうか それで充分すぎるほどだと私は考えるのだが 誰かが死にます、ということが、誰かにとって意味を持つ 意味づけることの根拠と極限がここにはある 生ではない、ということが重要です 生と死と、きみは簡単に対比して怪しまないが 生の対は、どこまでも終わらない生に決まっているじゃないか そのトートロジーの総体が生であって、そのトートロジーがまた生なのに ちょっと飽きちゃったからといって、死をもってきたってね、… それで一粒の麦、という言いかえですか 麦死す、ムギシス、 ぼくは米のほうが好きです 一粒の籾殻は、安寿のために、厨子王恋いしや、です きみもまた夜逃げではない、喩逃げしたいのか? ソクラテス・プラトン以来の二千五百年とどうして戦わないのか? ベトナムは徹底して米文化である 米からすべてをつくり、米に死す、コメシスだ 中国はムギ、小麦文化中華麺である 日本はその二つのごった煮である いくらでも、言おうと思えば言えるんだよ それが生さ いやいや、イエス、イエスですか くそ! いったいぜんたい 先生は、何を言いたいんですか? 喩には喩を、歯には歯をということを考えている 違うことを考えている 違うことと違うことを考えている こういうときに 岩田さんと倉田さんが 町田のケトバシヤでサシで議論している姿を想像してみたい 三つの田が合わさった、そこで耕すものは 一粒の麦の蘇りか それとも それらの現前が偽りであるとする発見の実りなのか 私にはわからないが たぶん「元気がないことが元気である」というような 落ちにはいたらないはずだ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 4, 2007 08:57:13 PM
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