カテゴリ:politics
明日は推薦入試で出勤なので、今日、八王子市長選挙の期日前投票をしてきた。八王子駅前のヨドバシカメラのそばに、クリエイトホールという市の公民館みたいなところがあるのだが、そこで今日の8時まで行われていた。結構、期日前の投票をする人が多いらしく、混んでいた。現職と環境派の新人の争いである。両者とも無所属だが、現職は政府与党の一味であることにはかわりはない。明日が選挙日だが、結果はどうなるのか。一矢を報いたいものだが。
最近非常に腹が立つのは、杉並区のW中の「夜スペ」なるイヴェントの認可である。今日のニュースでも大きく報道されていた。その初回の授業が始まったということで。S塾なる中高生向けの塾の講師が出張して、現役の中学2年生の偏差値上層部を相手に講習していた。その塾に直接通うよりも、W中で行う分、授業料も安く、インタビューに答えている保護者や生徒(もちろん、その授業に出席しているから賛成派ばかりだ)の意見も、このイヴェントの成功を喜ぶものばかりだった。これを計画立案した校長は民間の会社から校長になった人で、数年前ほどには朝日新聞で、自分の校長としての実践をコラムとして書いていたことがある。それなりに面白く、別段反感も持たずに、その連載を読んだ記憶がある。しかし、この公立中を使っての、夜の、選抜組みへの予備校講師の講習という企てには腹が立つ。これは彼(校長)も、杉並区の教委も表向きは関係せずに、保護者たちが立ち上げた私的な第三者機関の運営ということで行われるものであるにせよ、よくも最初は反対していた都教委が認可したものだと驚く。 驚くと書いたが、考えてみればここ十年余りの都教委のやり方からすれば、全く当然のことに過ぎなくて、逆によくも最初に反対を表明したものだということに驚くといったほうが正確である。現場を根こそぎにひっくり返した「改革」、それは簡単に言えば、教育への「経営」「効率」「ネオリベ」的考えの介入であったが、その道筋の行き着くところは、税金で運営されている公立校をも、その考えにいやおう無く巻き込み、一予備校の宣伝のための「学校」と化すことに他ならない。タックスペイヤーとしては、どこに文句を言っていいのか分からぬように、受益者負担の建前をちらつかせてはいるが、半額ほどの減であること、その施設を使わせていること、選抜したその学校の生徒をそのままそこに通わせること、これらはことさらに「あるもの」を優遇し、「ないもの」をますます貶める「格差」拡大の道にほかならず、明らかに憲法の定める教育を受ける権利、教育の義務などに違反している。こういうやり方に対して、何も言わずにいることは恥ずかしいことだ。 昔の杉並区、その教委だったら、この話はありえないことだが、そういうことを言ってもしようがない。「競争」や「利益」を見やすくすることは、なんでも話を簡単にすること、どこが悪いの?と居直れることにつながる。これに反論することはとても困難になる。勝ったよ、儲かったよ、これに反論することは至難だ。だが、ぼくは、何人かの教え子の顔を思い浮かべてみる。「夜スペ」なる命名も気品がないのだが、そういうものに、どんなに誘われても、彼や彼女は出ないだろうな、中学生の時期を自分なりに、どうにか工夫して、辛いことの多い、その時期を乗り切るだろうなと思う、そういう教え子たちをすぐ思い浮かべることができる。むしろ、このような試みを、うさんくさく思わなければダメだと自分で考えることのできる生徒たちこそが救いである。 なんら翳りのない表情で、「学校」という場をも、経済界の一企業、一工場のように収益優先の論理で語る管理職に対して、この学校の子どもたちは、ほんとうにどう思っているのだろうか?そして、こういう管理職、こういうことを後押しする区教委や、都教委というものの存在を、区民や都民はどう思っているのだろうか? 末世である。救いがないのは、すべてのことが政治的、経済的、経営的、要するに、教育の時間と論理から逸脱していること、そしてそのことを最初から疑わない風潮である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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