カテゴリ:essay
Raymond Carverの未完詩篇のなかに、しかし、それはそう題されているだけで、正確には詩集の形としては出なかったということだが、ぼくは"ALL OF US"という、カーヴァーの詩集をまとめた本のなかで、その補遺(Appendix)の部に、その未完詩篇がまとめられてある、のを知っている。その一つは、"No Heroics, Please"というタイトルの詩である。
「対比」がすべてである詩なのだが、この対比は効果的なのかどうか。にわかには判断できない。パステルナークのジバコの映画があり、その映画館のそばのトップレスバーからはバンドの音が聞こえてくる。なかでもサキソフォンの音が、ジバコを見ている「われわれ」の注意をひきつけ、最終的にはそれに抵抗ができない、というのである。そして、もっとも重要なのは、この詩のタイトルであって、このタイトルが、この対比のどれに加担し、どれを否定しているか、にわかには判断できないし、判断してはならない、というのが、ぼくの見解である。この詩のタイトルを、村上春樹は「英雄を謳うまい」と訳している。これは、実に「効果的」な訳であろう。しかし、こう訳したとき、ジバコは否定され、しがないサックス吹きのサックスの音が称揚されるというような単純なものではないはずだ。 「心の壁が紙のように薄い」というのは、ジバコの偏見の無さを言っているのか?ここらあたりがポイントになろうが、ジバコを忘れてしまっているので、どうもしようがない。 No Heroics, Please 今晩は、この言葉を薬のように飲み込み、寝る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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