神の青領(カンヌオー)
河合民子さんが贈って下さった、第23回山之口貘賞受賞(2000年)後、急逝した山口恒治(60歳)の追悼集を読み終わった。一言では言い表せないさまざまな思いが渦巻いている。この本は「山口恒治・多恵子追悼集」とも名打たれているように、山口夫妻の物語にも満ちている。長崎の五島列島出身の若い女性との結婚、そしてその妻の方が先に乳ガンで亡くなっていく。46歳で亡くなった愛妻の後を追うように山口もその翌年、彼の友人たちにその妻が泣いて依頼して集まったというカンパなどで出した第三詩集「真珠出海」の貘賞受賞後に、満身創痍という感じで亡くなる。70年代の沖縄返還時の反対闘争に、積極的に参加した武闘派とでもよぶべき運動家でもあった詩人。警察のデッチアゲであった「松永裁判」の支援者のリーダーの一人でもあった詩人。埴谷雄高の心酔者であり、ル・クレジオの読み手でもあった詩人。冤罪が晴らされた当の松永優氏のすぐれた回想ももちろん掲載されている。19歳頃の河合さんが、この詩人に「不良少女A」「アナーキスト・タータ」と呼ばれていたということなど。様々な人の回想から共通して浮かび上がってくるのは、山口恒治という詩人の多様な活動と生の底に潜む独特な眼差しである。絶妙な距離感といってもいい。それは最終的には周囲との曖昧な同化を拒む何かとしかいいようがない。かと言って、はねつけるのでもない、人間の愚かさや弱さを根底において大きく肯定しつつも、自他のそれを含めて、どこかさめた諦念とともにながめる眼差しといったらよいのだろうか。この詩人にはどこか、そのような「異化」の眼差しに転化するものがいつもあるような気がする。それが自己の運動の現場や思索・詩作の現場においてエネルギーになり、あるいはそこからフイと身をひかせる、その両方にもなりうるといった塩梅なのだ。どこまでも青い珊瑚礁の湖、それはしかし全く沖合のおそろしい海の沈黙の青ではない。伝説や物語が生まれてくる気配、人間たちの営みを秘めた青である。そのような眼の色を、この詩人も持っていたにちがいない。カンヌオーとは神と人の交流する境界の青であろう。この詩人の「昭和の柩―真珠出海―」に出てくる語句。これを追悼集のタイトルにした呼びかけ人たちの見識に何も付加するものはない。―遠い海嘯の中 月下の礁に佇む少年の耳にチュイチュイ ヒチュイと浜千鳥の声が聞えてきた。少年はそこが、自分の秘密の場所でもあるかのごとく 廃船の暗みに座り込み遠ざかる千鳥の声をじっと聞いていた。背後のアダンの林をときたま風が渉り カサコソと音をたてているのはヤドカリ達だろう 盆の月は宙天に懸かり 遠く神の青領(カンヌオー)と称ばれる礁湖が一つ 夜光虫の揺籃のように光っていた。―「昭和の柩―真珠出海―」よりぼくは『真珠出海』のすべてを読みたくなって、出版元の宜野湾の「榕樹書林」に今日頼んだ。この追悼集もそこから出ている。 ワイルドストロベリーby peco’s botanical gardens