世果報(ゆがふ)
テレビで石垣島・白保の音楽グループ「しらゆり」のドキュメントを途中からだが観た。戦後すぐに島の荒廃した人心を音楽で慰め、勇気づけるために島の青年たちが結成したものだ。もう50年も続いている。だから、そのメンバー達はみな六十代の後半から七十代の後半の人々だ。戦争の地獄から一歩一歩歌と踊りと演奏で抜け出してきて、様々な悲惨と戦ってきたメンバーのすべての顔に刻まれた深い皺。でも演奏するときの底抜けの笑顔と若々しい所作が一切の苦労を吹き飛ばす。このようなグループが「本土」に存在するとは信じられない。八重山の共同体と今でも生きている祭儀の数々に守られてこそ、このような不屈のグループができたのだろうと思う。(このグループを下敷きにした映画が最近あったはずだが、たしか ナビィの恋 を作った監督のもの。だれかご教示下さい)たとえばニューオリンズのジャズとか、そこの土地に根付いた音楽と祭りが世界には一杯ある。カリブやキューバなどもそうだ。そういうのを観たり聴いたりすると、とても勇気がわいてくるのは何故だろうか。洗練された音楽や踊りもすばらしいが、こみ上げてくる涙のようなものを感じたことはあまりない。人々の個別的な肉体に即した、しかしそれで自己完結しているのでは決してなく、一見下手でぎこちない演奏や身振りが何かを激しく希求しているからだ。人と人のつながりや開放(解放)された世界へのあこがれ。明日からの辛い労働を忘れるための忘我、そのようなものが具体的に親しくこちらにもわかるからか。〈しらゆり〉の一人の女性のメンバーが言っていた。彼女は従軍看護婦として台湾にいき、そこで爆撃にあい、自分の片方の耳が聞えなくなった人だ。「戦争は地獄さ、今は極楽、極楽」。極楽を世果報(ゆがふ)と呼ぶ。 (弥勒ミルク来臨・白保の豊年祭より)