熊本市では、本日正午過ぎにまた「大雨・洪水・波浪・強風・雷注意報」が
発令されました。今夜から明日夕方までに、さらに200ミリ降るとの予報。
雨も降らなくては困りますが、これでもかと言うほどまとめて降られては、
これまた新たな災害の危険があります。台風4号も週末接近します
ちなみに熊本市では、「熊本市水防注意報発令態勢」で3名態勢を配備、
これが警報に変わると69名態勢となります。「熊本市災害情報メール」に
登録すると、動きが逐一判ります。熊本市ホームページトップにも出ています。
今日は、「サニー家ものがたり ~潮害編~」をお届けします。
わが家は熊本市の西の果て。昔は有明海の海の底でした。江戸時代に干拓されて移住。
徒歩5分で有明海。阿蘇に降り注いだ雨が、いくつもの支流となって西の有明海へと注ぐ、
河口にあります。また、台風が高潮・満潮と重なると、海も河川も怖いです。
昭和2年、9月13日。
台風と高潮・満潮が重なり、わが家の前一帯の堤防が決壊。
当時は今よりももっと低い堤防だったそうです。
2キロ内地まで、海水は濁流となって、家も人も一気に飲み込みました。
わが家も流され、曾祖母が亡くなりました。遺影が、まだとても若いです。
祖父が大正9年生まれ。昔ですから、今のサニーよりも若かったでしょうね。
その後、建て直した屋敷に中学1年まで住んでいました。築、約60年でした。
昔の屋敷はおもしろかったです。この話は後日また改めて取り上げたいと思います。
まだ幼くて何も知らなかったある日、姉(サニーより1歳上)が父と祖父に言いました。
「夜中にあっち(母屋のあった方)からピチャン、ピチャンと水の音が聞こえる。
若い女の人が“助けて”って泣いてる」と。 曾祖母だったのでしょう。
このとき初めて、私たち2人姉妹は昭和2年の潮害の話を聴かされました。
5年前に帰熊してすぐの頃、自宅に届いた出身小学校の100周年記念誌には、
当時の見るも無残な画像がたくさん載っています。とてもよく出来た100年史です。
これを作製した5年前当時の校長先生は、サニーが小学5・6年のときに隣りのクラスの
担任でした。町民誰もが知っている素晴らしい先生です。うれしくて、中学以降のサニーの
報告も併せて書簡にしたためたところ、すぐにお返事を下さり、担任でなかったのに覚えて
いて下さり感激です。いまは隣町の小学校の校長先生。やがて定年退職です。
いまは堤防も頑丈になり、台風が来ても決壊まではしないでしょう・・。
各民家も基礎を上げてあるので、ところどころ道が冠水するくらいですが、
道路・用水路・田んぼがつながって、湖のようになるところがあります。
当時のことを語れる人が、だんだん少なくなってきました。
被災者の子孫として、風化させずに後世に語り継いでいきたいと思います