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2007年08月15日
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お盆の風習は、地域によってずいぶん違うものです。
7月盆のところもありますね。サニーの住む熊本市西部は8月盆。
我が家の習慣をご紹介します。我が家ではこれが当たり前ですが、
皆さまのところと違う点もあるでしょうね。

8/13夕方、ご先祖さまをお迎えに、お墓に行きます。(迎え火)
お墓は我が家から徒歩5分もかかりません。この墓地に
お墓を持つ家は遠くても徒歩15分もあれば来れるでしょう。
近年は車でお墓参りのご家庭も多く、少し寂しく感じます。

提灯を持って、点けずに行きます。お墓に着いてお参り。
帰るときに提灯を点けます。ご先祖さまの案内役、道しるべです。
自宅仏壇両脇には電気で回転式の盆提灯を飾り、落雁やご先祖さまの
好物をお供えします。

我が家はあおぞら家の本家なので、こちらから親族のところへ
出向くのではなく、皆をお迎えする側です。幼い頃は、盆正月は
同年代の従兄弟たち家族が泊まっていき、それはそれは賑やかで
幼心に楽しみでした。しかし若くして祖母が他界、ついで祖父も‥涙ぽろり
負担をかけてはいけないという先方の配慮でしょう、それ以降、
お泊りはなくなりました。それでも13~15日のいずれかには
ご訪問いただいています。

15日夕方、ご先祖さまをお墓へお送りします。(送り火)
送る前には、うるち米の粉で作ったお団子を仏壇にお供えし、
ロウソクの提灯を点けてお墓まで向かいます。道しるべ炎
帰りには、提灯のロウソクは消して持って帰ります。でないと・・
最近は、初盆以外ではなかなか提灯を提げて歩いているのを見かけません。

父の初盆のときまだ東京にいて、送り火にだけ何とか休みが取れて帰熊。
親族一同でぞろぞろとお墓まで歩きました。サニーの提灯だけ、
火を点けても点けても消えるのです。叔母(父の姉)曰く、
「帰りたくないて言いよらすとよ。」 私だって、帰って欲しくない失敗

初盆のときには、お墓に支柱で棚を作り、提灯をいくつも置いて帰ってきます。
後日、回収に行きます。この支柱を作るのに、我が家はご近所さんからよく
相談があり、農作業用の長さ2メートル以上ある棒を何本もお貸ししています。
お墓なので画像は控えますが、今年も何ヶ所か初盆のところがありました。

 

                私のお墓の前で 泣かないで下さい~音符

 

ヒトは誰しも、必ず最期のときを迎えます。
健在のときに自らお墓を選ぶ方も、増えていますね。
のように、自らお墓を作った人はまだ多くはないかも知れません。

祖母(父の母)が若くして他界、当時父はまだ30歳手前。
春に他界し、その年の夏、いまの場所にお墓を建てました。
我が家にはそれこそ昭和初期以降、不幸がなかったので
ご先祖さまの遺骨は納骨堂にお世話になっていました。

墓石は取り寄せましたが、大理石を埋め込んだり階段やら灯籠、
セメントで固めたり、設計はじめその他一切業者さんの力を借りず、
夏の暑い日に父が手づくりしました。サニーはまだ保育園児でしたが、
セメントを塗っている父の横で遊んでいたのをよく覚えています。

一家の主が、30歳手前にしてあおぞら家の墓を自らの手で造る。

あのとき父はどういう気持ちだったのでしょう?

私がそれより年を取ってしまった今、思い返して、
父の偉大さをあらためて感じています。

 

父はいま、自ら築いたお墓に眠っています。
遺骨は、祖父と祖母の間に安置しました。

自分で築いた安住の地。 幸せだなぁきらきら






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最終更新日  2007年08月16日 08時12分39秒
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