4015404 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ようこそ!「雲の上はいつも青空」

ようこそ!「雲の上はいつも青空」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

カテゴリ

バックナンバー

2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月

ニューストピックス

2007年09月28日
XML
カテゴリ:国内線

間が空きましたが、プチ家出・長崎編の続きですえんぴつ
過去記事は左コラムのカテゴリー「国内線」へご搭乗下さい。

皿うどんを食べ、大浦天主堂、グラバー園、港めぐり、とやってきました。
港めぐりのあとは、徒歩で行ける出島へ向かいました。

【1636年に築造された出島は、1859年オランダ商館が閉鎖される218年間に渡り、
わが国で唯一西洋に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしてきました。】
                             ~長崎市ホームページより抜粋~

以下、画像は全て、出島にて撮影したものです。

当時の出島は、名前の通り、飛び出た島でした。陸地と橋1つで繋がる、
この扇型の形を、皆さんも歴史の時間に学ばれていますね。

   出島当時図

それが、1900年前後にかけて、港湾改修工事等により
周辺が埋め立てられ、現在では↓このような内陸地になっています。

   出島現在図

↓出島内には、15分の1に縮小したミニチュア出島があります。

   ミニチュア出島

当時の資料などたくさんありますが、いくつか抜粋でご紹介します。
詳しくは、歴史についても詳しく載っている長崎市ホームページをご参照下さい。

   出島1    出島2

   出島3    出島4
    ↑当時の梱包の仕方     ↑当時の高級品「砂糖」の貯蔵庫

      香辛料
    
↑これは、香辛料の匂いをかげます。
       丁子、黒胡椒、肉桂など。

   カピタン部屋1

↑これは、「カピタン部屋」と言われる当時の大広間です。
出島の商館員たちは、朝夕2回、このカピタン部屋に集まって食事をとる習慣がありました。
食事は別棟の料理部屋で調理し、召使が給仕していました。この部屋はカピタン部屋の中で
35畳と最も広く、格式を備えており、日本側の役人などとの応接や饗応の場として特に
重要な役割を担っていました。

この再現は、クリスマスを祝ったとされる「阿蘭陀冬至(おらんだとうじ)」の祝宴風景です。

   カピタン部屋2

 なかなか、豪華だったのですねきらきら






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年10月03日 23時31分55秒
コメント(12) | コメントを書く
[国内線] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X