長崎・2日目の観光では、忘れてはならないところを訪れます。
いささか緊張して出発です。行く先を思うと、青空も違って見えてきます
「日本二十六聖人殉教地」をあとにして長崎駅へ戻り、路面電車で「平和公園」へ
向かいます。私も見るからに観光客のはずですが、長崎駅で「浦上天主堂」への
行き方を尋ねられました。40代と70代と思しき母娘、福岡から佐賀の温泉に1泊
して今朝長崎入りしたとのこと。降りる電停が一緒だったので、「平和公園に連れて
行って下さい」と言われてご一緒することに。こういう出会いもまた楽しいものです。
お母さまの方は、戦時中のことは思い出したくないと仰っていました。
電停からはすぐ、公園へと上がる階段があり、公園内には
世界15の国・市から贈られた平和を願う記念碑が点在しています。
「平和の泉」
「のどが乾いてたまりませんでした
水に油のようなものが 一面に浮いていました
どうしても水がほしくて とうとう油の浮いたまま飲みました
―あの日のある少女の手記から 」
(作文の中の油とは原爆の灰といわれています)
噴水の高さで変化する水形は、平和のハトの羽ばたきを表します。
ツルの港といわれる長崎港のツルも象徴しています。
「平和の泉」の正面には被爆当時9歳だった山口幸子さんの
被爆手記の一節が黒い御影石に刻まれています。
「平和祈念像」
天を指す右手は原爆の恐ろしさを、水平に伸ばした左手は平和を、
軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っています。また、膝を立てた足は
行動を、曲げている足は平和について静かに考える、静と動をそれぞれ
あらわしている、と言われています。
祈念像の両脇には、「折鶴の塔」。遠方からも、多数来ています。
ひと通り散策して、ご夫人方は「浦上天主堂」へ行かれるとのことで、
平和祈念像の前でお別れしました。日曜のためか、修学旅行生はあまり
見かけませんでしたが、外国人観光客の団体をいくつか見かけました。
公園を出て10分ほど歩くと、「長崎原爆資料館」があります。
原爆についてや、なぜ長崎に投下されたのか、その被害や救助活動、
そして現在の核兵器など、順を追ってわかりやすく展示されています。
午前11時2分で止まったままの時計や、溶けたジュースの瓶(触れます)、
その他数々の遺品や生々しい画像があります。言葉になりません。
なんとも言えない気持ちで、すぐ近くの爆心地も訪れました。
ここからまた10分ほど坂を上って、「浦上天主堂」を訪れました。
ここはキリシタン禁令が解かれた後、信仰の自由を手にした信徒が
「祈りの家」として、30年もの歳月をかけてつくった天主堂です。
当時は東洋一の大聖堂でしたが、爆心地に近かったため原爆で全壊し、
現在の天主堂は1980年に復元されたものです。まだ新しい感じでした。
窓にはキリストの一生をあらわした24枚のステンドグラスがあります。
原爆資料館には原寸大に再現した遺壁があります。