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カテゴリ:鉄子の部屋
~寝台特急「なは」の続編です~
3/14夜、熊本駅にてラストラン出発式で見送った寝台特急「なは」。 同じ頃に京都駅を出発した「なは」が、昨日3/15朝に熊本駅に到着します。 これで本当に見納めとなります。 到着予定は07:36。 午前6時過ぎには家を出て、6時半過ぎには熊本駅に着きました。 入場券を買おうと自動券売機にお金を入れると、出てきません 駅員さんは諸準備で忙しいのか、なかなか来ず、 でも無事に返金してもらい、買えました。早く出ていて良かったです この2日間で、JR熊本駅の歴代トップクラスの入場券発券数だったことでしょう。
改札を入ってすぐの、一番線に式典準備がしてあります。 「なは」は運行開始の1968年、当時まだ沖縄が米国統治下にあり、 本土復帰の願いを込めて公募で付けられた名前です。 最終列車到着後、ヘッドマークを外して沖縄県側に贈る「贈呈式」が行われます。 列車は数分遅れとのこと。到着後すぐに贈呈が出来るよう、 午前7時半頃に式典開始。関係者のご挨拶や「なは」の歴史の紹介がありました。 この後、定刻より約10分遅れで、拍手に迎えられて「なは」が到着。
この姿を目に出来る、最後の一瞬です すぐに整備士が2人線路に降り、ヘッドマークを取り外します。 ところがこれが、いとも簡単に外れるのです。 あれよあれよという間に外され、置きピンしていたのに 肝心なところでピントが合わないまま・・ ↑外して抱えて、 ↑ホーム上の整備士に渡します。 ↑立て掛けます。 ↑ヘッドマークは2ヶ所の突起に引っ掛けてあるだけです。
まずは、最終列車の運転士に奥さまより花束の贈呈。 そしてヘッドマーク贈呈式。 ヘッドマークは重いので、JR九州熊本支社長から 沖縄都市モノレール社社長へと目録が手渡されます。 続いて、那覇市長代理・那覇副市長からJR熊本駅長へ感謝状の贈呈です。 ヘッドマークは沖縄都市モノレールの鉄道資料館・ 「ゆいレール展示館」(那覇市)に展示されます。
そして、寝台特急「なは」とお別れのときがやって来ました。 朝日をまぶしく浴びながら、目の前をゆっくりと鹿児島方面へ走り出します。 ↓ ↓ 車両はどうなるのか尋ねたところ、駅員さんご存じなくて調べてくれましたが、 おそらく廃車であろうとのことでした。
見送り後、関係者の記念撮影。 この後、鉄道ファンたちの撮影のため5分ほどヘッドマークが展示されました。 ここは改札を入ってすぐの場所のため、 このような状況では他のお客様のご迷惑になります サニーも、揉みくちゃにされながらもこの中に入って撮りました。
横から見ると、段差があるのがお判りでしょうか。 文字や絵は、描いてあるのではなく、プラスチックのようなものを 所どころで固定してあります。背面画像のポツポツがそれです。
ヘッドマークともお別れをしたところ、ある父子が取材を受けていました。 今回は、京都から熊本へ知人の結婚披露宴ご出席のため来られたそうです。 最後なのでチケットが取れて良かった、とてもよい思い出になったとのこと。 お父さん「どこの駅もホームにすごい人だったが、とくに大阪駅はすごかった。 ヒーローは列車のはずだか、自分がヒーローになったような気分でした。」 いやいやお父さん、このチケットが取れただけでもヒーローですよ お子さまにもとても良い思い出となって良かったですね
寝台特急「なは」、40年間ありがとう ゆっくり休んで下さい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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