|
カテゴリ:国内線
かなり 遅くなりましたが、プチ家出 鹿児島・指宿編をお届けします。 お天気に恵まれた、2/23(土)~24(日)のこと
朝、JR熊本駅より特急「リレーつばめ」と九州新幹線「つばめ」を乗り継いで、 東京から出張で来ていた友人と鹿児島中央駅で待ち合わせ。 九州新幹線・他の列車については、後日 『鉄子の部屋』 にて別途ご紹介します。 ↑九州新幹線 「つばめ」 800系 途中の新八代駅で3分間の乗り継ぎ時間を含め、 熊本駅から鹿児島中央駅まで1時間10分です。
↑すっかり立派になった「JR鹿児島中央駅」 ↓なぜかこのお方も売店でお出迎え 買ってはいません・・
↑駅前の群像は、1865年にヨーロッパに向けて出発した 留学生たちを記念した銅像です。
まずは、ザビエル公園へ。 街の一角にある、宣教師フランシスコ・ザビエルを賛える公園です。 マラッカで出会った薩摩人ヤジロウとともに、1549年、フランシスコ・ザビエルが 鹿児島に上陸、日本に初めてキリスト教を伝えます。しかし仏教徒の 激しい反対に遭い、10ヶ月で平戸に移ります。 ↑フランシスコ・ザビエル滞鹿記念碑 ザビエル離日の際に同行したのが薩摩人ベルナルド(洗礼名)です。 その3人の銅像が、ザビエル日本上陸450周年の1999年に作られました。 ↑左より、ヤジロウ、ザビエル、ベルナルド
続いて、照國神社へ。 照國神社は、第28代薩摩藩主・島津斉淋公を祀り、 境内には島津斉淋・久光・忠義の銅像があります。 画像は島津忠義公の銅像。
そして、鹿児島といえば、このお方は外せません
軍服姿の西郷どんの銅像は、完成までに10年を費やし、 高さは台座まで入れると8メートルにもなります。 愛犬ツンと西郷どん、同じ方向を見つめているのでしょうか・・
1602年に島津家久が築いた、天守閣もない質素な屋敷『鶴丸城』。 「鹿児島は城をもって城とせず、人をもって城とする」精神に基づくのだとか。 “篤姫”は江戸へ出立する前の3ヶ月ほどを、この城で過ごしたそうです。 現在は石垣しか残っておらず『鶴丸城跡』として親しまれ、桜の名所でもあります。
石垣には、西南戦争の際の弾丸の痕が、いまも生々しく残っています。 城跡には第七高等学校造士館、鹿児島大学医学部などが置かれましたが、 現在は『鹿児島県歴史資料センター黎明館』となっています。
城山展望台へ、遊歩道を歩いて坂道を上ります。 途中には、お土産物屋さんがズラリ。 ↑薩摩地ビール 霞んでいますが、桜島が綺麗に見えます。 遊歩道の下り道、先日大き目の鉢に植え替えた「本つげ」を買い、 ↓こんなものも換えてもらいました(買いました?)。 「百円札」 昔、我が家にもありましたが、屋敷の建て替えなどで、 いつの間にか行方不明になりました。 「百円札」のヒゲおじさん、どなただったでしょう 正解は、この記事の一番下に記しておきます
下ると、西郷どんが西南戦争で最後に立てこもった「西郷洞窟」。 行っていませんが、ここからさらに下ると、西郷どんが銃弾を受けて 自刃した終焉の地「南洲翁終焉之地碑」があります。
「百円札」のヒゲおじさんは、板垣退助さんです。
~鹿児島編の「後編」へ続く (その後、指宿編へと続きます)~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|