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カテゴリ:鉄子の部屋
通称“ハチロク”は1914(大正3)年から製造された日本初の 量産型の旅客列車専用蒸気機関車です。 『SL人吉』こと『58654』は1922年製造で、435番目の誕生。 山口の工場で誕生しました。 以来、九州各地をまわり、1968年に人吉機関区に配属され 肥薩線、湯前線で活躍、1975年に運行が廃止されて 人吉SL展示館で保管されていました。 その間、国鉄OBの方が発電所の使用済み油で磨いて 熱心にお手入れを続けておられたそうです。
その後、1988年からは豊肥本線(熊本=大分を結ぶ路線)の 熊本=宮地間にて『あそBOY』として活躍します。 ネーミングも茶目っ気たっぷりですね しかし、車体の老朽化のため2005年に運行を終了しました。
依然として“SL人気”はお子さまにも鉄道ファンにも根強く、 2007年1月にJR九州さんが『58654』を『SL人吉』として 復活運行することをプレスリリースしました。 以前このSLが走っていた人吉では、 地元の方々がハチロクの復活をJR九州さんに 陳情寸前のときだったとのことです。
車体の老朽化のために運行終了していたので、 復活するとなれば入院・手術・治療しなければなりません。 運行復活のプレスリリース翌月から、 JR九州小倉工場にて解体作業が始まりました。 作業はJR九州や関連会社、そしてOBの力も借りて、 総勢17名で進められました。 部品の数は3万個 1円玉で考えると、1本が50枚を600本ですね これをバラバラにして、またすべて元の位置に戻す・・ 気の遠くなる作業です わからなくならないように、部品にしるしを付けておきます。
車体は想像以上に傷んでいました。 『あそBOY』はスイッチバックもあるほどの阿蘇の急勾配を走ります。 “台枠”という肝心な土台の部分がゆがんでしまっており、 新しく作ることになりました。これは大変なことです。 人間でいえば、腰骨を骨折しているようなものです。 名古屋市の日本車両製造に依頼してありました。 心臓部にあたるボイラーも大阪に入院して大修復です。 1年以上経った2008年6月に、無事にドッキング。 約6割の部品が新しくなったそうです。
“ハチロク”は日本初の量産型蒸気機関車です。 それまでの蒸気機関車はイギリスやアメリカ産のため、 図面の寸法には“インチ”が使われており、 “インチ”から“ミリ”へ換算する手間のご苦労もあったそうです。 『あそBOY』時代の整備担当者のご協力を得て、 無事に修復を完了することが出来ました。
2008年12月、JR九州小倉工場にて 「火入れ式」が執り行われました。 JR九州社長さんが火を入れます。 2009年2月にSL人吉クンは小倉工場から博多駅へ。 博多駅での見学会はすごい賑わいだったようです。 翌日未明、熊本に到着、3月上旬から試運転を重ねて めでたく4月25日の出発式を迎えたのです。
運行復活にあたり、JR九州さんの巨額の資金投資はもちろん、 多くの方々の復活待望の熱意と地元人吉の方々の歓迎ムード、 そして鉄道関係者・OBさんたちの技術とご協力に支えられて、 『SL人吉』はふたたび躍動しています そう思って乗ると、いや、見るだけでも、 SL人吉クン、すごいお方なのです 御齢87歳 サニーの祖父がもし存命であれば、今89歳です。 復活させて下さったご関係者の皆さま、ありがとうございます。 『SL人吉』クン、これからも夢を与え続けて下さい
~車内画像や道中記とともに、ご報告を続けて参ります~
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