学生時代:その2
時は1976年11月日本シリーズを一緒に観戦しに行った同郷の友人と、下落合の「なんとか?援護会」という学生アルバイトを紹介してくれる所に行った。そこで目にしたのは・・・場所:銀座〇丁目弁当配達(徒歩)17時~21時(夕食と夜食付き)時給:1100円(交通費込み)当時の時給の相場は350円くらいだったので、やった!とばかりに申し込み銀座まで行った。店に入ると日本料理の板前さんのような格好をした人がいて、喧しそうなおばちゃん、ひょろりとしたお兄いさん・・・そして立行司 木村庄之助にそっくりな爺さんが待っていた。この木村庄之助そっくりな爺さんが店主だった。あれこれ説明を受けたあと、夕食を食べろっていうことになった。夕食って何が出るんだろう?と期待しながら待っていたら、ドンぶりご飯と生タマゴだった。初日だったので、配達するビルを担当している人について歩いた。銀座のネオン街を次々と歩き、ビルの名前と場所を覚えた。4時間経過、もうクタクタだった。楽しみは夜食。残った弁当のおかずバイキングだったが、これは結構いけた。・・・この日から1ヶ月ちょっと・・・配達先・・・否・・・出前先か・・・?そこで受けた仕打ち、その他は語り尽くせないのでやめとこう。