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カテゴリ:せーなのコト
先日、7月24日に娘のせーなが、21歳になりました。 生まれてから21年。 離婚をしてから約10年。
お誕生日当日にLINEでやり取りをした中で、 そして、その後のやり取りで どんな状況でもママが大事にしてくれたから、 「私は、ウエッティ家6人家族の時も、3人家族になった時も幸せでした。」 こんなメッセージをくれました。 とても嬉しかったです。 今、せーなは、いろんな障がいを持つ子どもたちのお世話をする仕事についています。 母の知り合いで、サビ管の方がいて、その方にアドバイスを頂きながら、 親の”こうあるべき”というレールを敷かなかった私の子育てが正しかったかどうかはわかりません。 子どもたちには、 と伝えてきました。 病院勤務の若い子たちに私の子育て感を話すと けれど最近、思うことは、子どもが学校へ行っている間は、与えられた課題があり、それをやることで安心安全でいられるけれど、社会に出た時には、自分で考えて自分で行動していかなければならない。 その時に”自分がやるべきことはなにか?”ということを”自分で”気付かないといけない。 これまで誰かに言われた通りに行動していれば良かった環境から、 その自分で考える力がない子は、社会に出てから自分で考える能力を養います。 だからこそ、その前に自分で考えて行動する。 親は、それを支えつつ見守る。 それが親の役目。 この役目に気付いたのは、私自身の体験からです。 私の父と母は、とても厳格な人たちで、世間体を気にする人たちでした。 親の期待と重圧が如何に子どもの人権を脅かすかを目の当たりしてきました。 私自身は、自由奔放にやらせて頂いたおかげで、親の反対を押し切って、 そのあと、離婚をしても、 けど、何かあっても迷惑を掛けないでね?」と、親には言われていました。 この”何かあっても迷惑を掛けないでね?”というのが毒親一直線の親が放つ言葉だと私は認識しました。 とはいえ、私を産んでくれたことは感謝しています。 私は、”親だったら、こうあるべき”というのが非常に強いです。 多分、私の子どもたちも。 仕事上、いろんな親御さんの想いに触れることがありますし、 もちろん、親であったとしても、”できること”や”できないこと”もあります。 ただ、親として”子どもに何かをやらせてもらえない”人は、不誠実な人が多いような気がします。 ”やらない”のではなくて”やらせてもらえない”です。 1回目の離婚だったら、仕方ないと思うことも多いでしょう。 それでも、自分と子どもの為にと思って行動をする方が多いです。
こういった人は、 ”自分で気付かないと何の変化もない” ”必要とされていないのは自分自身のせい” とはいえ、学びがない人に限って、誰かのせいにする傾向が多いような気がします。 私は、元夫には、子どもたちへの誠意を・・・と求めることが多かったです。
本気で、”そんな親なら捨てちゃえよ!”と思うことも多々あるから。 でも、子どもにとって親という存在は、自分のアイデンティティなので、 そして、尚且つ、縁が切れない。 養子縁組だったら切れるけど。
https://mbp-japan.com/tokyo/erihirata/column/5168894/ だからこそ、親になったからには、子どもに憂いを与えてはいけないと思う。 けれど、これは私が思う”親”という者へ対する想いであって、 ”親であること”や”親であったこと”を自覚していない人もいるから。
息子は静かに自己主張をする子です。 息子も今、悩むことがあるので、母は見守るばかりです。
特にせーなは、 だから自分で決めて、ママに話すまで待っていてあげて?」 私にとって、せーなは自分の子どもですが、一番、身近にいて、客観的に周囲を見れる子です。 せーなを授かった時、独りで育てようと思いました。 せーなの手は、絶対に放してはいけないと、小さい頃から、手を繋ぎながら思っていました。 ※せーなの手だけではなく、あきの手も放してはいけないと思いながら手を繋いで歩いてた。 もう二人とも成人していますが、”親”というものに拘りがあります。 そんな二人が、どんな親になるんだろう? でも、ゆっくりでいいよ♪」と話しました。 子どもの時にしか分からないこと、親になってから分かることは違います。 けれど、私は、子どもである子どもたちや、その先に授かるかもしれない孫も大切にしたいし、子どもたちが選んだパートナーも否定はしません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.07.27 01:43:25
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