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2006年10月23日
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テーマ:ペットの死(565)
カテゴリ:ユキちゃん
23日の日記にたくさんの皆さんのコメントをいただきまして、ありがとうございました。
まだ個々にお返事はできませんが、心からの感謝を申し上げます。

また、気を取り直してユキちゃんの最期を記します。



たぶん、ユキちゃんが倒れた時刻は、10月23日午後4時40分から45分くらいだったと
思います。


ユキちゃんが突然倒れて、初めは、脚がおかしいのかと思い、
次の瞬間には何か大変なことが起こっているので早く病院に運ばなければと焦っていましたが、
(今、冷静に振り返ると、ハッちゃんパパからそう尋ねられる前に気がついていたのかも
しれないという気もしてきました。
「ユキちゃん!どうしてなの!?どうして!?」「ユキちゃ~ん~」
と夢中で繰り返し叫んでいたようでした。)

もう心臓が止まっていることを知って、また違う意味でとにかく我家に運ばなくてはと
必死になっていました。

着ていたウインドブレーカーを脱ぎ、ユキちゃんに着せました。
ユキちゃんは、もうまったく身体が緩んでしまって手も脚も首もだらんとしていました。

ハッちゃんパパは、片方を持ってくれるようにおっしゃってくださいましたが、
ハッちゃんとハルちゃんもいるし、片方ずつ持ち運ぶよりやはり私が抱いて
運んであげたいと思い、お散歩バックだけ持っていただいて、一人で抱き上げました。

生きていても重いのですが、死んでしまうとまたさらに重たくなり、さらに手足や首が
ばらけそうで、ウインドブレーカーで(ついていた帽子部分も使い)それらをしっかりと
包み込んで運びました。

ワンワン山の入り口まで30mから50mくらいでしょうか?
たった今ユキちゃんが何秒もかからないくらいの速さで駆け下りてきた道を
ユキちゃんを抱いて歩きました。
あまりに重くて途中4回くらい休みました。
下には置きたくないので、しゃがんで膝に乗せて少し休んでまた歩き始めました。
まったく、夢のような感じです。
今思い出そうとしても、そのあたりの感覚はよく覚えていません。
夢のようでありながら、重さだけはずっしりと現実味を帯びていました。
途中で、腕が濡れていることに気付きました。
ユキちゃんのおしっこです。
そのおしっこさえも愛しく感じながら運んでいました。

息を切らしてやっと階段を上り、そこにユキちゃんを寝かせてハッちゃんパパに見ていていただき、
私は急いで家に戻り車を回すことにしました。

10分前くらいには、ユキちゃんと楽しく歩いた道を帰りは1人で走りました。

山道で、来る時に会ったモミ&クーちゃんたちに会いました。
「ユキちゃんが死んじゃったんです」と言いながらすれ違い、走りました。
山道を抜けたあたりでオッキーくんにも出会いました。
少し離れたところにいるオッキーママにも「ユキちゃんが死んじゃったんです」と
言いながら急いで戻りました。
(オッキーママは何を言っているのかわからなかったそうです。でも、声が普通じゃなかったからと
後日お参りに来てくださった時におっしゃっていました。)



走りながら、ウィークデーは都内のマンションに住んでいる夫に電話しました。
遅くなるかもしれないけれど、今日帰って来てくれるということでした。


家に戻り、大きなキルティングの布を後部座席を倒したスペースに敷き、歩いて行った道とは
反対側に廻り(その方が山道を走る距離が少ないので)ワンワン山の入り口に向いました。
山道を通らないでそこまで行くには、その3、4倍遠回りをしなければなりません。

やっと辿り着くと、ハッちゃん&ハルちゃんとパパ、オッキーくんとママ、モミ&クーちゃんパパは
モミ&クーちゃんをお宅に連れ帰りパパだけ、つまりユキちゃん以外、人3人と犬3匹で
待っていてくださいました。

モミ&クーちゃんパパがユキちゃんを抱いて、私の車の方に向って歩いているところでした。
(車が山道を通らないでいいようにモミ&クーちゃんのお家の前まで運んでくださろうと
していたとのことでした。モミ&クーちゃんのおうちまでは70mから100mでしょうか。)


もうあたりは大分暗くなっていました。
ユキちゃんを車に乗せて、コンクリートで舗装してあるものの、みかん畑に来る軽トラックがたまに
通るだけで、ふだんはお散歩の人しか通らないような道を通らなければ帰れません。

遠回りしてワンワン山の入り口に来るまでは、(つまり我家から反対側から来ると)運転席が
山側だったのですが、そこをUターンすると今度は自分が谷側になってしまいます。
Uターンせずにそのままいつも歩いている山道を行くと、脱輪したら死ぬようなところも
通らなければなりません。
でも、その方向なら運転席が山側だったので、そのまま戻ることにしました。


    走って行った道を亡骸になって帰る  /自由律俳句

もう車に傷がつくとかそんなことは気にならずに、安全のためにわざわざこするようにして
進みました。
(あとから、オッキーくんママからお聞きした話では、ハッちゃん&ハルちゃんパパとオッキーくんママは
私が心配で後ろからついて来てくださり、ハッちゃん&ハルちゃんパパが「大丈夫、しっかりしている」とおっしゃっていたとか。)


とにかく、私は必死でした。
安全に家に連れ帰ることが今は一番大切と思っていました。

家に着き、まず猫たちを浴室に閉じ込めて(ここならふうちゃんが戸を開けません)、ユキちゃんの
お布団を敷き、玄関を空け、門扉を開け、花柄のキルティングに包まれたユキちゃんを
抱き上げて、運びました。

ユキちゃんを布団に寝かせ、大好きだったぬいぐるみも一緒に寝かせてから、
猫たちを解放しました。

どんな反応をするか心配でしたが、特に興味も示さず、とりあえずほっとしたら
身体中の力が抜けて、一気に哀しみが押し寄せてきました。

しばらく、ユキちゃんの前で嘆き悲しんでいたら
(JOYは入院中に逝ってしまい、死に目に合えませんでした。病院に着いた時にはJOYをねぎらい
感謝する言葉しかなかったのですが、ユキちゃんには「どうして?」「いつもなんでも遅いのに、なんでこんなことばかり早いの?ユキちゃんのお馬鹿。」とかいろいろ言ってしまいました。後から考えたらかわいそうなことを言ってしまったと思っています。)

その時、よく一緒にお散歩した柴犬のケンちゃんママがお家で採れた柿を持ってきてくださいましたが、門扉のところまで行けずに玄関の外の柱に寄りかかってやっとユキちゃんのことを伝えました。

その後、また気を取り直して、3人の息子達に明日はお骨になってしまうユキちゃんの最後の姿を
写メールで送りました。

ユキちゃんが夕方、ワンワン山で走っていて、
突然倒れてそのまま死んでしたいました。
明日、火葬することになると思いますので、
最後の写真です。
  ユキ最期2.jpg

今、考えたら何だかそっけないメールでしたが、それが精一杯でした。

                             ~ つづく










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最終更新日  2006年11月08日 23時26分40秒
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